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2024年9月22日日曜日

野口健「シナ発言」についての私的解説


ツイッターでちょっとした炎上を引き起こしてタイムラインをお騒がせしてしまいました。「あなたは言葉が足りないところがある」と妻に言われ、確かにそういう部分はあるかもしれないと思ったので、発言の補足および、これを機会にポリシーについても説明しておこうと思います。



普段SNSでは政治や社会の問題に口を出すことはないのですが、それがなぜ、野口健さんの投稿に異を唱えたかというと、理由がふたつあります。


1)野口さんは世間では登山家を代表する存在と見なされているため

2)投稿内容が一線を超えていると思われたため


同じ投稿内容でも、投稿者が登山とは関係ない人だったら、私が口を出すことはありませんでした。しかし野口さんは日本で最も知名度の高い「登山家」といえます。であれば、登山界側からの異論も必要だと考えました。


野口さんは中国での児童殺害事件について、「シナの大使を国外追放すべき」と発言しています。もちろん事件は痛ましくひどいものです。しかしそれを非難するために「シナ」という言葉を使う必要は全くないでしょう。必要ないどころか、悪感情を無駄に煽って害悪ですらあります。そこが一線を超えたと判断した部分です。


今アメリカでは、SNSの暴走によって民衆の分断と過激化が進み、現実の殺人事件にまで発展する抜き差しならない事態に陥っているといいます。一連の中国の事件も、SNSの過激化による影響が考えられるという説を目にしました。こうしたところには、過剰な言葉で人の感情を過度に煽る悪質なアジテーターがいます。野口さんはそれになりたいのでしょうか?


他人の不幸に便乗して自分の思想を主張したり利得を企んだりする人を私はとりわけ軽蔑しています。最低の行為だと考えます。野口さんが使った「シナ」という言葉にはそれを感じました。だから私は「最低発言」だと表現しました。なぜ普通に「中国大使を国外追放すべき」と書かなかったのか。それでもかなり強い言葉ですが、そのレベルに留まっていれば、私は一線を超えたとまでは思わなかったはずです。


もし野口さんが、事件のあまりのひどさに激しい怒りを抱き、つい侮蔑的表現を口走ってしまったというのなら、まだ理解できる部分もありました。ところがそのすぐ後に野口さんは、ネパールでの家族旅行のほのぼのとしたツイートをしているのです。なんなんですかその軽さは。侮蔑的表現を使うに値する強い思いがあったわけではないんだなと判断するしかないではありませんか。


野口さんが普段から右寄りというか愛国的な思想を持っていることは知っています。そこは私が口を出す筋合いのものではないし、問題あることとも思いません。ただしそれは正しく主張していただきたい。侮蔑や差別になってしまっては非難されて当然だと考えます。




ちなみに私自身は明確な政治的思想を持っているわけではなく、ほぼ中道でどちらかというと左寄りというところだと思います。支持政党は特になく、選挙のたびに政党関係なくよさそうな人に入れています。最近では国民民主党の主張が自分の考えに近いところが多いかなという感じでしょうか。


何事も事案ごとに是々非々で判断するのが好きなので、私の言動には一貫性がなく、わかりにくく見えることがあるかもしれません。実際、私の過去ツイートや書いた記事では、野口さんについて擁護したり支持したりしているものもあります。それがなぜ突然批判するのか。そういうところが外部的にはわかりづらく映るかもしれないという自覚もあります。


私は誰かを批判的に語るときは、その人格と発言を意識的に区別するようにしています。これは言論では基本作法ですが、世間一般的には人格と発言をまぜこぜで語られがちです。だから私が野口さんの発言を支持すると「森山は野口派なんだな」ととらえられたり、逆に批判すると「アンチ野口なんですね」と言われたりする。いや、場合によってどっちもあるんですよ。


今回の一件で評価はだいぶ下がったものの、野口健という人物自体に私は特に悪感情を抱いてはおりません。同意できる意見や評価できる部分があることも事実で、今でも全否定するつもりはありません。しかし野口さんが9月19日9時14分に行なった発言は間違いなく最低である。ここははっきりさせておきたい。


こうした私の態度はわかりにくいものなのかもしれないけれど、そもそも世の中や人間ってそんなに一面的に判断できるものではないでしょう。簡単に決めつけてしまうから過激化するんだよ。ということも私にとっては大きなテーマなので、この機会に主張しておきたいところです。




以降はある程度余談ですが、炎上中、サヨク呼ばわりされたことは不愉快でした。右翼の野口さんを批判するのなら左翼。そういう単純なものの見方はやめてほしい。私は党派制でしかものを考えられない偏った思想が嫌いなだけ。言ってみれば「反偏」。強いて言えばそれが自分の思想ということになるのかもしれない。


たとえば、よく投げつけられた言葉に「青木理の劣等民族発言についてもコメントをどうぞ」というものがありました。これは私を左翼だと決めつけての嫌がらせなのだと思いますが、それに答えるとすると「青木理の劣等民族発言は最低である」となります。このニュースを聞いたときは、言論人として終わってるなと感じました。これは野口さんのシナ発言に匹敵する最低発言だと考えています。


ただしこれも野口さんと同じで、青木さんを全否定するつもりはありません。青木さんの過去の仕事には、今でもよく覚えているほど素晴らしいものもありました。今後、青木さんが劣等民族的な言動を繰り返して、過去の貯金を失ってしまったら全否定に至ることもあると思いますが、それまでは是々非々です。人間ってそういうものでしょう!?