南アルプスには、名物とされる「山小屋のガンコオヤジ」がいます。その筆頭は、なんといっても農鳥小屋の主人。何十年も前から有名で、もうけっこうなお歳のはずだけど、いまでも現役で小屋を守っています。
その次に有名だったのが高山裏避難小屋のおやじさん。この方はすでに引退されたと風の噂で聞きましたが(未確認)、長らく農鳥と並ぶ両巨頭として知られていました。
その高山裏を訪ねたときの話を、昔PEAKSに書いたことを思い出しました。けっこううまく書けたと自負しており、埋もれるのはもったいないので、PEAKS編集部の許可を得ずに以下に掲載します。
ちなみに、小屋を訪ねたのは1999年の話で、書いたのは2012年です。
--------------------------------------------------------------------
南アルプスの高山裏避難小屋に行ったときのことである。三伏峠と荒川岳の間にあるこの小屋は、南アルプスのなかでも登山者がとくに少ないエリアにある。うっそうとした樹林に囲まれた、収容人数20人くらいの小ぢんまりした小屋だ。
小屋に着くと、50代くらいの小屋番氏が出てきた。角刈りで苦みばしった顔。このときは取材だったので、名前と来訪の趣旨を伝えると、小屋番氏は入口にどっかりと腰を下ろした。
「まあ、そこに座れ」
小屋に入ることは許されず、荷をほどくこともできず、僕らは入口前に転がっていた切り株にとりあえず座った。
「オレは、雑誌の記事には言いたいことがあるんだ」
小屋番氏はそう言うと、登山雑誌は南アルプスの存在を軽んじているのではないかということ、実際に登って書いているとは思えない記事があることなどを語り始めた。話はおっしゃるとおりということもあれば、こちらの言い分も聞いてほしいというものもあり、僕はときに謝り、ときに受け流し、ときには抗弁しつつ、必死に対応した。
そんなやりとりが30分ほど続いただろうか。
「オレは言いたいことは全部言った。キミの話もわかった」
小屋番氏はそう言って話を終えた。
「じゃあ、入れ」
ようやく僕らを小屋に招き入れてくれた。
その日の宿泊者は、僕ら以外にはいなかった。高山裏避難小屋は、素泊まりのみの小屋である。僕らは持参した食事を作り始めた。
ほどなくして、奥でなにかしていた小屋番氏が鍋を抱えて出てきた。
「これ食いな」
鍋には味噌汁がなみなみと入っていた。ありがたくいただく。ひと口すすると、これが飛び上がるほど美味い。疲れたときに飲む味噌汁が美味く感じることは何度も経験しているが、それにしてもこの美味さは異常だ。
「なにが入っているんですか?」
小屋番氏はニヤッと笑って、いろいろ説明してくれた。しかしなぜか詳しいことは忘れてしまった。ナメコのようなキノコが入っていたことだけは覚えている。
その夜、小屋番氏は小屋番仕事の裏話や南アルプスの山々についてなど、おもしろい話をいくつも聞かせてくれた。
説教から始まった小屋番がよくよく話を聞くとじつはいい人で――なんて、作り話のような都合のいい話だがすべて実話だ。
もう十数年前の話である。このときの小屋番氏はすでに代替わりしてしまっているはずだ。しかし南アルプスではいまでも、そしてほかの小屋でも、これに類するような話をよく聞く。
「古き良き山文化が残っている」などと安易にまとめるつもりはない。人によっては必ずしも「良き」ではないからだ。ただ、世俗や商売抜きの素朴な雰囲気が南アルプスにあることは事実で、そこにこそ魅力を感じる人がいるのも事実。南アルプスの個性はそんなところにもあるのである。