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2022年7月4日月曜日

わかりやすいことはいいことだ

こういう文章を読んだ。


価値というのはモノに内在しているという、長らく続いたモノを中心としたマーケティングの支配的思想が、サービス概念によって、価値は共創的に生まれると考えられるようにもなってきたように、マーケティングというものを「企業が顧客に働きかける活動」というものから、「企業と顧客間との相互行為である」というものとして、もっと思想を変えていかなければならないのだろう。


私はこれを読んだとき、文章の意味がわからなかった。もう1回読み返してもよくわからない。そこで3回目、文章構造に注意しながら時間をかけて読み直し、さらに4回目にして、ようやく、言わんとしていることがなんとなく想像できるようになった。


なんだかとても既視感のある文章だなと感じ、ちょっと考えた末に、高校時代の国語でよく見た文章に似ていると思い当たった。


私は国語がとにかく苦手で、好きでもなく、授業やテストが苦痛だった。問題文の意味がわからないのだ。どうやったらわかるようになるかの筋道も想像できず、なんのために自分はこんなことをやっているか理解もできないままに学生時代を終えた。


自分で言うのもまったく口幅ったいのだが、私の文章はわかりやすいと言われることが多い。これまた口幅ったいが、自分でもそう思う。なぜそうなのか、理由ははっきりしている。私が文章を書くときにいちばん気を配っていることが、わかりやすく書くことだからである。だからわかりやすくなるのは当然。むしろわかりやすくなっていなかったら、私の最大努力は実を結んでいないことになるので悲しい。


自分はなぜこんなにわかりやすさに固執するのかなと考えると、それは高校時代に苦しめられた恨みに起因している。あんな苦しい文章は読みたくないし読ませたくない。そんな思いがずっと心の底にある。わかりやすさを磨かせる強いモチベーションになったという意味では、国語の授業は私の糧になったともいえるのかもしれない。


まあ、その結果、私の文章は格調や味に欠け、ともすると安っぽく、ときには頭が悪そうにさえ見えるようになってしまった。しかし、文章の第一義は意味を伝えることにある。できるだけ多くの人に、できるだけ素早く伝達を達成できるもののほうが、文章として高性能といえるのではないか。国語の授業ではむしろこういう技術を勉強するべきではないのかと強く主張したい。


ところで、冒頭の文章を私がリライトしてみたら以下のようになった。元の文章で理解しきれないところもあるので、これで意味が合っているのかどうか、80%くらいの確信しかもてないけれど、どうだろうか。読解合ってるかな??


"モノ”を中心とする伝統的なマーケティングでは、価値は物に付随するというのが一般的な考え方であった。ところが、”サービス“という概念が普及した結果、価値は受け手と共に創りあげられるものと考えられるようになってきた。同じように、マーケティングも、「企業が顧客に働きかける活動」から、「企業と顧客との相互行為」としてとらえるようになっていかなければならないのだろう。



*私の高校時代に、わかりにくい文章を書く筆頭格として悪名高かったのが評論家の小林秀雄。ところが40代になってから、数十年ぶりに小林秀雄の文章を読んだところ、その格調高い言葉のチョイスと流れるように理解できる論理展開に驚いた。私が高校時代に苦しんだのはなんだったんだろう。



2022年7月1日金曜日

盗用とか無断転載とか著作権のもろもろ

あるYouTube動画に私が撮影した写真が無断で使われていて、クレームを入れたら動画は削除されたということがありました。こういうことたまにあって、以前もブログ相手にクレーム入れたりしたことがあったな。


私が編集仕事を始めたときに先輩から教えられたことってたくさんあるのだけど、「盗用をしない」というのは、そのなかでもトップクラスに重要なことのひとつでした。他人の文章や写真、イラストなどを無断で使ったことが発覚したら、その人の編集者人生・ライター人生はその時点でほぼ終了するーーというのが、業界の当然の認識だったのです。

しかしこれは出版や新聞、テレビなどあくまでマスコミ業界内の常識であって、一般の人にそこまで厳しい認識は求められていなかったと思います。ところがインターネットの登場によって、現在は1億(世界なら80億)総表現者時代に。すべての人に著作権の知識や認識が求められるようになってしまいました。


著作権というのは非常に難しい概念で、私も基本を理解するまでに10年くらいかかりました。新人に教えるにしても、手を変え品を変え、さまざまな事例を体験させながら、数年かけてようやっと理解してもらえるような代物なのです。

編集部に入ってきたばかりの新人が、記事中の写真すべてをネットでコピった写真で構成していることに校了間際の水際で気づき、深夜にあらゆる人に電話をかけまくって総動員状態で作り替えたりしたこともありました。当の新人にはもちろんキツイお灸をすえましたが、最初は「えっ、ネットからとってきちゃダメなんですか?」と真顔で言ってました。こいつが人一倍ダメだったという可能性もありますが、出版社に入ってくる人でも最初はこんなもんです。


こういう体験があるので、私自身はインターネット上での盗用には比較的寛容なほうだと自認しています。だって1億(もしくは80億)人に著作権のこの難しいルールを守らせるなんて無理だから。大きな問題が生じないかぎりは黙認でいいと思っているし、実際そうしてきたものもたくさんあります。

そもそも、現行の著作権法は時代に合っていないのです。基本的に紙・フィルム時代の表現を想定した内容になっており、これだけ多くの人が毎日大量の発信をし、表現の手段も多岐にわたり、しかもコピーが圧倒的に簡単になった時代にはまったく対応できていないのです。現代のインターネット表現において混乱や矛盾が生じまくってしまうのは当然のこと。


とはいえ、無法状態でいいと思っているわけではなく、個人的には以下のような基準を設け、ここに抵触するものにはクレームを入れるようにしています。

1)表現そのものよりも、明らかに金儲けが目的であるもの

2)著作者や、著作物に関係する人の尊厳を傷つけるもの

3)コピー作品が原作より影響力をもってしまう場合

今回の動画は2に抵触しました。1にも該当する可能性はありますが、そこは実情がわからないので不問。



ところで著作権について話をし始めると、どうしても理屈っぽくなってしまいがちです。「~をしてはいけない」という話ばかりで、「じゃあ、どうすればいいのよ!」という気持ちにもなります。そこで、いちばん重要なポイントをひとつだけあげておきます。


他人が作った表現物を使うときは、作者の許可をとる


これです。

これをやりさえすれば、トラブルを起こしてしまうことはほぼありません。

もちろん手間がかかりますよ。使用許可をくれない人だっているかもしれない。でもそこを怠ると、後々、思わぬトラブルに巻き込まれることがあるってことです。

個人的には、こんな面倒なことをしなくても、もっと気軽にコピー利用ができる新しい時代のルールや法律ができてほしいなと思っています。でも現状そうはなっていないので、最低限のルールは守らないといけない。ましてやプロであるなら(=金をとっているなら)、最低限では全然ダメで、最大限守らないとね。




【おまけ情報】

ここで激しくオススメの本を紹介しておきます。著作権の本を何冊読んでも一向に理解できなかった諸々の事柄が、この本を読んで私はすべて一掃されました。


著作権の本って、「著作権とは、財産権、人格権、隣接権から構成されており~」なんて説明から始まるものが多いのですが、この本はまったく違います。「アンディ・ウォーホールのキャンベルスープの絵は権利侵害に当たるのか」とか「マッド・アマノのコラージュは著作権侵害に当たるのか」など、実際に問題になった実例をもとに、著作権なるものの勘所をじつにわかりやすく面白く解説してくれています。

なにより私が目を開かされたのは、著作権法の「真の目的」。著作権というと、著作者の権利を守ることばかりが注目されますが、法律の真の目的はそこではなく、創作行為をより活発にすることにあるのだというのです。パクられ放題の世の中だと、バカバカしくなって創作などする人がいなくなってしまうので、そうならないために著作者の権利を守る。順番が違うのです。

この根っこを理解させてくれるところが、この本の最大の価値かなと思います。ここさえわかっていれば、あらゆる裁判の判例もなぜそういう判断になるのか概ね理解できるようになるし、自分の身の回りの事例もこの根っこから延長して判断できるように私はなりました。

私はこの旧版を持っていて、編集部の新人に著作権について教えるとき、まずはこれを読めといつも推薦していたのですが、今本棚を探したら見つからない。だれかに貸したまま借りパクになっていると思われます。

とにかく、ここまで読んできて、著作権に興味をもった人には、この本を読むことを超絶オススメします!