穂高で滑落して九死に一生を得た人の動画をYouTubeで見た。やっぱり6月の穂高は危ないなとあらためて思ったのだが、ほぼ同じ時期、ほぼ同じ場所で、自分も過去にかなりヤバい体験をしたことを思い出した。
動画の人は、穂高岳山荘まではなんとかたどり着いたのだが、山荘からの下りで滑落してヘリ救助になっている。まさにそこ! ほぼ同じ時期! まるでデジャビュかと思うほど条件は似通っている。
そのときの顛末を過去にPEAKSに書いたことがある。6月の穂高がどんな感じなのか知るにはそれなりにわかりやすい文章だと思うので、PEAKS編集部の許可を得ずに以下に掲載します。
6月25日
僕はひとりで涸沢まで登ってきた。あいにく天気はよくなく、断続的に雨が降っている。平日ということもあり、涸沢カールにはだれもいない。テントのひと張りもない。
灰色の空をバックにした穂高の稜線にはガスがからみつき、威圧的な姿を見せている。いつも夏に見ていた華やかな印象とはまったく違う。岩と雪のモノトーンの世界。だれにも頼ることができない圧倒的な大自然が醸し出す妖気に、僕は気圧されていた。
「もう6月末なんだから、軽い装備でライト&ファストにいこう」と、しゃらくさい考えでいた僕の足下はリーボックのローカットシューズ。ピッケルもアイゼンも持っていない。さすがに不安になって、涸沢ヒュッテで軽アイゼンを借りた。
穂高岳山荘に向かって登りだす。遠目にはゆるく見えた雪の斜面は、取り付いてみると意外に傾斜が強い。残雪というと、太陽光でゆるんだグサグサの雪しか知らなかった僕は、雪が意外に硬いことにも面食らった。
やわらかいリーボックの靴はソールにエッジがなく、クロックスのように丸まっている。いくら雪面に蹴り込んでも安定せず、いまにも滑り出しそうだ。小さな4本歯の軽アイゼンはこの傾斜ではほぼ無力。これはたまらん。トラバースして、もう雪が消えていたザイテングラートに逃げた。ああ、ひと安心。
天気はいっこうに回復せず、雨脚は強まってきた。あの広い涸沢カールに僕ひとり。威圧的だった穂高はさらに大きく、高圧的なまでに僕にプレッシャーをかけてくる。時間はもう4時だ。
穂高岳山荘がほぼ同高度に見えてきた。逃げ切れたか。そう思ってちょっとしたふくらみを乗り越えたら、山荘と僕の間は幅100mくらいの急な雪の斜面になっていた。さっきよりずっと傾斜が強い。ここをトラバースしていけというのか。そんなわけないだろう。
ほかに道があるはずだとあたりを見回してみるが、さらに傾斜がきつい雪の壁か岩場があるのみ。どう見てもここしかない。
斜面の下を覗き込む。はるか下に涸沢ヒュッテが1cmくらいの大きさで見えている。1000mくらいはあるのか。スリップしたらあそこまで止まらないだろう。幸い、フォールラインに岩は見当たらないが、1000mも滑っていく間、生きていられるのかはわからない。
周囲には人影はゼロ。トラバースの一歩を踏み出すかどうかは、すべて自分の判断だ。家族の顔が頭をよぎる。ミスしたらすまない。覚悟を決めてトラバース開始。ふにゃっとヨレる靴の足裏に、全身の神経を張り巡らせる。3分の2くらいまで渡ってきたところで、集中力が切れてきた。まずいぞ。最後まで集中しろ。
穂高岳山荘が建つ石段の片隅にようやく足が掛かった。倒れ込むようにゴールテープを切った。もう動けない。極度の放心状態。山荘に入っても言葉がうまく出てこず、山荘スタッフが心配している。でもいいのだ。おれは生き残ったぞ!
下りはどうしたって? 来た道を下るなんてことはもちろんできない。大キレット方面に向かい、南岳から下山した。しかしそっちはまるで記憶にない。ザイテングラートよりはるかに難しいはずの道なのだが、天気は回復したし、稜線上には雪が全然なかったのだ。リーボックは超快調であった。まったく、一筋縄ではいかないぜ、残雪期。
(PEAKS 2014年5月号より)
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