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2019年7月25日木曜日

登山地図を見るために(だけじゃないけど)機種変更しました




最近、スマホを機種変更しました。ずっと使っていたiPhone SEから、Galaxy A30という機種に。iOSはとても気に入っていたのだけど、のっぴきならぬ事情からAndroidに復帰です。


機種変更の最大理由は画面サイズ。iPhone SEは4インチという、いまどき珍しいほどの小ささ。片手におさまるコンパクトサイズはとても使い勝手がよかったのだけど、だけど……、画面が小さくて見えなぁーーい!(バサーッ!!)


老眼が進んでつらくなってきたのです。年配の方が電車内などでタブレットを使っている理由がわかりました。


新しい機種は、画面サイズ6.4インチ。もういっそのこと、いちばんデカいやつにしてやれと思い、現行品のなかでは最大クラスのGalaxy A30にしました。iPhoneにもXS MAXという画面6.5インチのモデルがあるのですが、いかんせん高すぎる。12万円くらいします。それに対してA30は3万円ほど(UQモバイルで購入)。


画面拡大効果は上の写真を見てもらえば一目瞭然で、地図の見やすさ・情報量が圧倒的。これだけで変えてよかったと思えます。画面の面積比でいえば、A30はSEの2.2倍ほどもあります。すなわち2倍以上の情報が表示できるわけです。山でスマホ地図を見るとき、これまでは狭い窓からのぞきこんでいるような窮屈さを感じていたのですが、だいぶマシになりそうです。


あとは防水機能。山で使うことを考えると、やはり防水性は欲しいです。iPhone SEは防水機能がないので、雨のときに取り出すのは躊躇していました。auとかUQモバイル版のA30はけっこう強力な防水性を備えているので(SIMフリー版は防水防塵機能がないので注意)、雨のときも安心して使えそう。それからホントかどうか知らないけど、防水・防塵機能を備えていると、低温にも強くなると聞いたことがあります。私のSEはバッテリーがへたっていることもあるけど、冬山に持っていくとあっという間に落ちたりして困ってました。A30がどうかはまだわからないけど、冬山でのバッテリー持ちも期待しています。


が、ひとつ問題が。




A30はデカすぎて、いつもスマホを入れているショルダーポーチに入らないのです。




歩行中にもスマホやカメラをすぐ取り出せるショルダーポーチは自分的には必携装備。いくつか持っているのですが、そのどれにも入りませんでした。


そこで、ショップ店頭で実際にA30を片っ端から入れてみて、入るものを探したのだけど、このサイズになると入るものが少ない! 選択肢は実質的に2つくらいに限られました。


最終的に選んだのがこれ。



ミレーのヴァリエポーチというやつ。




今まで使っていた同じくミレーのヴォヤージュパッデッドポーチ(右)と比べると、えらくデカくなってしまった。A30を入れることだけを考えると、もう少しコンパクトなほうがいいのだけど、なにしろ選択肢が少ないのでしかたがない。




デカいぶん、Galaxy A30も余裕で入ります。2ポケットタイプなので、コンパクトカメラも同時に入れられます。エナジーバーなどの行動食なども入りそう。しばらくはこの組み合わせでやってみます。



あ、ちなみにiPhone SEも引退はしてません。LINEモバイルのいちばん安いプランのSIMカードを入れて予備として利用しています。A30はau回線で、LINEモバイルはドコモ回線なので、山での通話可能範囲が補え合える。2台あれば、1~2日の山行ならモバイルバッテリーを待たなくても行けそうなので、わりといい運用方法なのではないかなと思っています。



2019年7月1日月曜日

海外登山技術研究会に登壇しました




先週6月23日、日本山岳・スポーツクライミング協会が開催している「海外登山技術研究会」というイベントに登壇してきました。


このイベントは、澤田実さんが中心となって企画されてきたものですが、5月に亡くなってしまったので、急遽私に代役の依頼がきたというものです。講演的なものは苦手意識があるし、澤田さんの代役というのも正直荷が重いと思ったのですが、話が来たのがイベントまで2週間ちょっとというタイミング。迷っているヒマはないと思い、思い切って即断で引き受けました。


テーマは「無補給登山の可能性」。昨年、トランス・ジャパン・アルプス・レースを無補給で完走した望月将悟さんを主役に、「無補給」なる行為の意義や可能性について掘り下げようというものです。


澤田さんがこのテーマで何を表現しようとしていたのか、正確にはわかりません。が、なんとなく想像できるものはあります。


レースといえど、食料や燃料をすべて自分で持ち運ぶ行為は、まさに登山そのもの。そこに望月さんのような先鋭的なフィジカルを掛け合わせれば、これまでに考えもつかなかったようなことが可能になるのではないか。かつてヨーロッパの山岳スキーレースに刺激を受けて、冬の黒部横断でそれまでの常識を超えたような登山を実践した経験をもつ澤田さんであるからこそ、望月さんのチャレンジに特別な可能性を感じ取ったのではないか……。そういう方向なら話せることもあるだろうと。


そんな基本線に沿って、スライド使いながら30分ほどしゃべりました。詳しい内容は省きますが(トークの情報量ってすごく多くて、文字再現すると30分ほどでも1万字くらいになってしまうのです)、ひとつ、自分でもいいこと言ったなと思うのがこれ。




登山の原初的動機ってこれじゃないかと私は考えています。「行けなかった所に行く」ために、さまざまな技術や登り方を開発・発展させてきた歴史が登山にはあります。


エイドステーションや荷物のデポを前提とした山岳レースは、肉体的パフォーマンスを純粋に追求するには適した場ですが、レースの運営体制やコースが変われば、同じパフォーマンスは発揮できなくなってしまう。一方、デポや他人のサポートを前提としない望月さんの無補給スタイルならば、仮にコースが無人の原野を行く400kmに変わったとしても対応できるわけです。


どんな条件、どんなコンディションが出てきても突破できるような術を身につけることが登山の原初的目的であるとするならば、望月さんが目指したことはまさに登山の源流。


で、重要なことなんですが、源流がよいのは、たんなる懐古趣味とか伝統主義ということではなく、行ける場所の範囲が広がることにあります。だって、他人の助力なしに400kmの山岳コースを6日間で踏破できる能力があるわけですよ。それができるのならば、これまでは思いも付かなかった場所や課題すら視野に入ってくる可能性が広がるのではないかと思うのです。




ーーというようなことを、会場ではしゃべりました。


すると、望月さんは最前列で、「なるほど!」というような顔をしていました。いやいや、あなたのことですよと、ツッコミを入れる場面ですが、望月さんはキラキラした目で他人事のようにうんうんとうなずいているのです。


望月さん、まともに話したのはこのイベントがほぼ初めてでしたが、無邪気というか子どものような人でした。「これやりたい!」「おおーっ! やろうやろう!」という感じ? 「子どものよう」というと失礼にあたるのだとすれば、純粋というか。私がしゃべったような理屈っぽい動機で無補給チャレンジをやったのではなく、ただただ「それは面白そうだ」と感じて無補給をやったというのです。


この感じ、思い当たる人が他にもふたりいます。平山ユージさんと三浦雄一郎さん。彼らは、自分がやりたいと思ったことに一点の曇りももたず、子どものように全力で突き進めるメンタルをもっています。望月さんも同じ人種だった。話していて、ユージさんと三浦さんが思い浮かんでしかたなかった。


この人たちは、理屈抜きに直感で本質を突く能力をもっているところも共通しています。たとえばユージさんのレッジ・トゥ・レッジ。詳しい説明は省きますが、このことって、それまでのクライマーが全員、心のどこかに引っかかっていたことではありながら、見て見ぬふりをしてきたことであるのです。が、ユージさんはビッグウォール経験数回でこのことに気づき、裸の王様を指摘するがごとく、「だってそのほうがよくない?」と、まったくもってストレートにレッジ・トゥ・レッジを実践しました。これは世界のクライミング史に残る意識革命だったと私は思っているのですが、望月さんの無補給トライにも似たようなものを感じます。一流は、理屈抜きに一撃でコトの本質を見抜く能力を持っているのだと。


イベントでもしゃべりましたが、じつはこの無補給思想、トランス・ジャパン・アルプス・レースが始まったころすでにあったのです。




これは、トランス・ジャパン・アルプス・レース創始者である岩瀬幹生さんがレースを始める前、ひとりで日本海~太平洋トライを重ねていた20年くらい前に書いた記録の一節です。


レースが回を重ねるにつれて、途中の山小屋などで食料を補給することはほぼ前提となっていきましたが、創始者が最初に思い描いたのは無補給であったわけです。


「このこと、知ってましたか?」と望月さんに聞いたら、「いや、初めて知りました」と明るく答えました。やはり望月さんは直感で源流に行き着いていたのだ。





慣れないトークショー、しかも急遽代役ということで、かなり緊張して臨みましたが、まあまあしゃべれたかな。会場には私の妻(望月ファン)も来ていたので出来を聞いてみたら「すごく聞きやすかった。見直した」と言っていたので、まあよかったのでしょう。2週間背負っていた肩の荷が下りた気分です。