ノンフィクション本大賞2018 - Yahoo!ニュース
角幡唯介が、Yahoo!ニュース本屋大賞「ノンフィクション本大賞」を受賞した。本屋大賞といえば、いまやある意味、芥川賞や直木賞よりも価値がある賞。今年から新設されたノンフィクション部門の大賞第一号が角幡というわけだ。私は角幡が書く文章の大ファンであるので、受賞はとても喜ばしい。
以前、このブログで角幡の文章の魅力について書いたことがある。そちらもぜひ読んでいただきたいのだが、じつは本当に読んでほしいのは、最後に紹介している角幡自身のブログの文章である(タイトルはここには記せない)。
『外道クライマー』書評
実際に会う角幡は、どちらかというと表情の変化がないほうで、しゃべりも訥々としており、あまり切れ者という印象がない。ところが著作から受けるイメージはキレキレであり、そのギャップにとまどう。どちらが角幡の真の姿なんだ。
7年前、角幡が2作目の著作『雪男は向こうからやって来た』を出したときに、『PEAKS』にその紹介記事を書いたことがある。これも角幡の人物と文章のギャップについて書いていた。この文章はいまでも自分的に気に入っていて、埋もれさせるにはもったいないので、PEAKS編集部の許可を得ずにここに再掲します。
<以下再掲>
もう15年くらい前になるけれど、角幡唯介とクライミングに行ったことがある。先にばらしてしまえば、角幡は大学探検部で私の後輩にあたる。私はすでにOB、角幡は入部して間もないころで、岩場で会ったのが初対面だった。
このときの印象は「野人のような男だな」という一点につきた。とにかく目つきが鋭い。いまよりやせていて顔つきももっとシャープだったと思う。そんなハングリーむき出しのような風貌が強く印象に残っている。
そして日本語で会話をした記憶がない。憶えているのは、「ウオッ、ウオッ」という、うなるような相槌だけだ。それだけ聞くとほとんど類人猿のようで、本人には失礼な話だが、でも、自分にとってはそういう印象しかなかったのは本当なのだからしょうがない。
その後は会う機会はほとんどなく、たまに人伝てに噂を聞く程度だった。しかし伝わってくる話は、やっている活動の内容にしても言動にしても、猪突猛進というイメージのものばかりで、私の第一印象を裏付けるだけだった。行動力は人一倍ありそうだけれど、知的なタイプではないのだろう。だからその後、上級生になってクラブのリーダーに就任したと聞いたときはちょっと意外に感じた。
角幡は大学を卒業して朝日新聞の記者になった。これにはもっと驚かされた。当時の朝日新聞といえば、日本一入社するのが難しい会社のひとつだ。獣を思わせた肉体派の男が、いったいどうやって入ることができたのか。私にはわからなかった。
角幡は、朝日新聞に入社する前、破天荒な人物として知られるあるクライマーと、登山経験皆無に近い女性歌手との3人で、ニューギニアまでヨットで渡り、ジャングルを踏破し、トリコーラという標高5000m近い山の北壁を初登攀するということをやっている。後年、ひょんなことからその女性歌手と知り合った私は、壮大な冒険行でありながら、どこか珍道中ともいえるその旅の実態を聞いたことがある。私にとっての角幡像は、エリート記者よりそちらのほうがしっくりくるものがあった。
そして昨年の『空白の五マイル』である。それを読んで申し訳なく思った。こんなにも緻密で論理的な仕事ができる男だったとは。なにより、まったく非日常なテーマながら、ふつうの読者に刺さる言葉をきちんと選び出し、決してマニアに走らない。そのバランス感覚に本当に感心した。これは野人どころか、かなり頭がキレるやつでないとできない話だ。
それは今回の本にも共通している。雪男がテーマというと、多くの人は「大丈夫か、こいつ?」と思うにちがいない。安心してほしい。角幡は雪男の信者ではない。むしろ懐疑的なスタンスだ。そんなものにどうしてこれだけ多くの人が惹かれ、人生をかけてまで探そうとするのか。それを元新聞記者らしい多面的な取材と人物描写で説いてくれている。
昨年、穂高に行ったときに山中で偶然、再会した。久しぶりの角幡は、とてもやさしい笑顔を見せるようになっていて、もちろん日本語もしゃべっていた。しかし体は格闘家のようになっていた。「クマみたいだな」と思った。
野人からクマ。格が上がったのか下がったのかわからないけれど、少なくとも野人イメージはもう消えた。だから許してくれ、角幡。
<PEAKS 2011年12月号 p.97より>
この『PEAKS』12月号、たまたま別の記事で角幡のインタビューが5ページにわたって掲載されています。当時角幡が住んでいた東長崎のボロアパートで取材が行なわれ、柏倉陽介が撮影した印象的な写真が使われています。そちらも注目です。
↑一瞬混乱するかもしれませんが、私のツイートではなく、ライターの森山「伸也」のツイートです(血縁関係はありません)。穂高で角幡に会ったとき、私はこの伸也くんと一緒だったのです。ちなみに、当該の号に載っているインタビューは伸也くんが書いているものではありません。彼によるインタビューはそれより前、2011年2月号に載っています。
なお、ニューギニア冒険の話は、この本に詳しいです。著者の峠恵子さんが件の「女性歌手」です。この本、冒険界きっての奇書といわれるくらいとんでもない本で、峠さん自身も相当ぶっとんでいます。本を読んでいると、3人のなかで角幡がいちばん常識的な人間に見えるくらいです。
この『PEAKS』12月号、たまたま別の記事で角幡のインタビューが5ページにわたって掲載されています。当時角幡が住んでいた東長崎のボロアパートで取材が行なわれ、柏倉陽介が撮影した印象的な写真が使われています。そちらも注目です。
角幡さんとはじめて会ったのは、憲一さんと北穂に登って下山途中の登山道ででした。たしかにクマでした。— 森山伸也 (@moriyamashinya) 2018年11月10日
その後、東長崎のアパートに押しかけて話を聞きました。こんな壁が薄い汚い部屋でよくあんな論理的で思慮深い文章が書けるものだと思いました。 https://t.co/uhOwKJwJW4
↑一瞬混乱するかもしれませんが、私のツイートではなく、ライターの森山「伸也」のツイートです(血縁関係はありません)。穂高で角幡に会ったとき、私はこの伸也くんと一緒だったのです。ちなみに、当該の号に載っているインタビューは伸也くんが書いているものではありません。彼によるインタビューはそれより前、2011年2月号に載っています。
なお、ニューギニア冒険の話は、この本に詳しいです。著者の峠恵子さんが件の「女性歌手」です。この本、冒険界きっての奇書といわれるくらいとんでもない本で、峠さん自身も相当ぶっとんでいます。本を読んでいると、3人のなかで角幡がいちばん常識的な人間に見えるくらいです。
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