なんと4カ月ぶりのブログ更新。今年初の更新となってしまいました。あけましておめでとうございます。
年末にやっておこうと思っていながらのびのびになってしまって気になっていた企画がありまして、ようやくスキができたのでここで片付けておこうと思います。
2017年に取材させてもらったクライマー一覧。数えてみたら、1年間で15人(そのうち3人は2回)を取材していました。下は14歳から上は48歳まで(取材当時)。人工壁のスポーツクライマーからゴリゴリの岩場派まで多種多様。
クライマーの取材、いまいちばん楽しい仕事なのです。みんな「登りたい!」という純粋なモチベーションにあふれていて、そういう人に会うのは、こちらもすごい刺激になります。心が洗われるようです。
では、取材日順にいきましょう。
1月に行なわれたボルダリング・ジャパンカップで、野口啓代・野中生萌の2大巨頭を抑えて優勝し、2017年いっきに注目が集まった14歳。
この1年前にも取材させてもらっていたのだけど、そのときとは環境が激変。地元盛岡の山岳協会が取材を取り仕切るようになり、単独取材は許可が出ず、テレビや新聞などの記者が多数集まるなかでの合同取材でした。
この写真がいちばん現場の雰囲気を示してるかな。四方から無言でカメラを向けてくる無数の報道カメラマンに加えて、記者はというと、「好きな食べ物はなんですか」みたいな質問ばかり。クライミングに大して興味もないのに大人の事情で取材を続ける報道陣に囲まれて、ひとり置いてきぼりのような14歳の女の子。
これがオリンピックのホープの定めとはいえ、あんまりかわいそうに思えて、くだらない雑談含めて意識的に声をかけてあげるようにしていました。あれから1年。もうこういう状況には慣れたかもしれないけど、負けるな、ふたばちゃん!
記事はこれに
こういう動画とか
「ファイト不発」のCMとか
で有名になった、19歳のユースクライマー。動画のイメージどおり、おっとりぽわんとした女性でした。取材は彼女がホームとしている横浜のクライミングジム、プロジェクトで。じつはここ、のちほど出てくる小山田大さんのジム。ほわっとした10代の女性と、世界最強ボルダラーの組み合わせは意外に思えましたが、行ってみて納得しました。
大場さんは小学生だか中学生だかのころに、地元のジムに来た小山田さんに接して、人柄に自分と通じるものを感じたそうです。小山田さんは、パブリックなイメージはストイックで気難しそうですが、素顔は子どものように無邪気な人物。その裏表のないところに惹かれて、進学先を決めるときにプロジェクトに近い大学を選んだということでした。
2016年は、コンペの成績に伸び悩んでいたようでしたが、秋に小山田さんに誘われてドイツの岩場ツアーに行き、岩場に新たな楽しみを見出したそうです。
小山田さん自身が、コンペから岩場に転身してクライマーとして開花した人物。スポーツ化が進む現在のクライミングは、競技者としていったん壁に当たると袋小路に入ってしまいがちですが、本来クライミングは多様なベクトルをもったもの。それを身をもって知る師匠に恵まれたのは、大場さんの大きな財産のように思えました。
記事はこちらで読めます(要PDFダウンロード)
外岩の若き刺客。「小山田大を超えるのはこいつだ」とささやかれるほどの才能。大学を卒業し、アルバイトしていたジムAPEXに春から就職するタイミングでの取材になりました。
2016年に岩場での大活躍で注目された村井さんですが、『インドアボルダリングブック』という本の取材だったので、聞く内容はジムのこと。ええ~、いま村井隆一を取材するなら岩場のこと聞かないとヘンでしょ~と思ったのですが、担当編集部員Nが村井さんのファンで、ぜひ登場させたいというのでジムのことを聞いてきました。村井さん初対面だったのですが、クレバーな人で、本の趣旨を理解してちゃんと意味あること語ってくれました。
村井さん、近ごろは岩場での活躍が圧倒的に目立っていましたが、もともと競技クライミングのナショナルチームの一員でもあります。今年2月には、久しぶりにコンペの場でも爆発。ボルダリング・ジャパンカップで楢崎智亜さんをも抑えて2位に入りました。やはり才能は底知れないです。
泣く子も黙る最強ボルダラー。国内外で初登した課題の難しさは他の追随を許さず、40歳となっても日本のボルダリング界に君臨しています。
この岩場の申し子になぜか、ジムのことを聞いてきました。理由は、これまた編集部の希望によるもの。ビッグネームを登場させたいという気持ちはわかるが、企画内容との相性というものもあるだろ~と思いつつ取材。が、岩場の申し子とはいえ、ジムの経営者でもあり、人工壁でクライミングを覚えた第一世代ということもあり、普段とは違った角度でいろいろ面白い話が聞けました。
なんでこの人をインドアボルダリングムックで?3連発の3人目は、なんと室井登喜男。日本の岩場ボルダリングを現在のかたちに作りあげた人物といっても過言ではありません。
いま日本を代表するエリアのひとつになっている御岳は、この人が自費出版で作ったルート図集をきっかけに、人気エリアとなりました。もうひとつの一大エリア、瑞牆に至っては、訪れる人などだれもいなかった時代に、ひとりでコツコツと通って1000本以上の課題を初登することで現在の姿になったのであります。まさに伝説の男。
そんな男にジムのことを聞くのは気が引けましたが、素顔の室井さんって、やたら腰が低く、柔軟な人なんですよ(体も異常にやわらかい)。「岩場にはジムにない魅力があるし、ジムには岩場では体験できないおもしろさがある」という言葉が印象的でした。
いまコンペで、いちばん”魅せる”クライミングをしてくれる女性クライマーはこの人でしょう。ガッツあふれる登りは思わず応援したくなります。天才少女として騒がれ、23歳で結婚・出産、25歳で再びコンペの第一線に戻ってきたという、激動のクライミング人生。
子どもをもつ身でありながら、アスリートとしても活躍する日々について、福岡まで行って聞いてきました。夫はこれまた有名強強クライマーの渡辺数馬さん。福岡でジップロックというジムを夫婦でやっています。
伊藤・村井・小山田・室井・渡辺さんの記事はこちらに収録
いまいちばんヤバい男。ただでさえ危険なことで名高い湯川の「白髪鬼」(5.13d R)というルートを、ソロで登る!(ロープは使用)ので写真撮ってほしいと頼まれて行ってきました。
これは何かの取材というわけではなくプライベート。しかしルートがルートだけに、こちらも気合と細心の注意をもって臨みました。結果は目を覆いたくなるようなグラウンドフォール。カムが3本くらい吹っ飛びました。
幸い足首のねんざだけですみ、2週間後くらいに早くも再トライして、白髪鬼のダイレクトフィニッシュとなる「燈明」(5.13d/14a R)というラインまで完成させてしまいました(このときは私は不在)。
倉上さんはヤバいクライマーとして知られていますが、素顔はきわめて常識人かつ、絵に描いたような好青年で愛すべき男。ところが自身でも制御不能なほどのモチベーションモンスターで、やりたいプロジェクトがまだまだいくつもあるそうです。大ケガだけはしないようにと見守るのみです。
この雑誌にこのときの写真が使われています。
それからアメリカのクライミングメディア「Alpinist」のウェブに記事が出ました。Alpinistといえば、世界でもっとも格調高いクライミング雑誌。ここに自分の名前が載ったというのは感激。倉上さんのおかげです。ありがとう。
アルパインクライマーであり山岳ガイド。澤田さんが使っているグレゴリーザックの広告企画として記事を書かせてもらいました。
澤田さんは私と同年代で、北海道大学探検部出身。同じく大学探検部出身の私は一方的に親近感を抱いておりました。探検部出身の登山家やクライマーはなんとなく共通した雰囲気があるような気がします。ひとことでいえば自由。それが悪いほうに出ると私や角幡唯介のようになり、いいほうに出ると澤田さんのようなキャラクターになるようです。
ところでこの記事、ちょっとした手違いがあり、一度完成していながらお蔵入りになってしまった別バージョンがあります。自分的にはそちらのほうが気に入っていたので、機会があれば公開したい。小川山レイバックギター初登(=ギターを背負っての初登。ついでに中間のレッジで尾崎豊を熱唱)の話も出てきますよ。
記事はこちら。
「その隔絶感、辺境感が最大の魅力」。山岳ガイド澤田実さんが挑み続ける冬の黒部横断の記録 | Akimama
自分としても毎回楽しみな『Guddei research』(好日山荘情報誌)での次世代クライマーの連載。八王子で行なわれたワールドカップに16歳という男子最年少で出場した今泉結太くんを取材しました。ヤンチャな「ザ・男子高校生」という感じでしたが、なかなかイケメンで、侍ギタリストのMIYAVIになんか似てるなと思いました。
ところで今泉くん、基本は競技クライマーなのですが、将来的には岩場指向とのこと。彼のSNSも、最近はすっかり岩場の話が中心。次に出てくる青木達哉さんがクライミング師匠で、「ティミー、ティミー(青木さんの愛称)」とタメ口で慕う青木さんにくっついて、岩場によく行っているそうです。
世界的なアルピニストのいるジムなんてそうはなく、恵まれているといえるでしょう。どういうジムで育つかというのは、クライマーとしてのその後を大きく左右するのだなあとも感じました。
記事はこちらで読めます(要PDFダウンロード)
今泉くんの翌週に小川山で取材させてもらったのが、今泉くんのクライミング師匠、青木達哉さん。K2の日本人最年少登頂者、ピオレドール受賞者、つくばスポーレの店長など、さまざまな肩書きをもつクライマーです。
これはマムートの広告記事だったのですが、取材はマラ岩「ペタシマン」(5.13c)で本気トライ。登れませんでしたが、いいものを見せてもらいました。近ごろクライマー取材は自分で写真も撮ることが多いのですが、この取材では私はビレイ役。撮影は、スーパーアルパインクライマーとしても知られる高柳傑さんでした。
記事はこちらに
再び小山田さんであります。今度は本業というべき岩場の話を聞きに行ってきました。取材地は、小山田さんがエリア開拓に中心的にかかわった、岐阜の笠置山。かなり暖かくて、本気で登るにはもう暑すぎるという時期でしたが、エリア整備作業のかたわら、現地の東屋でのんびりと話を聞きました。
「ぼくスポーツきらいなんですよ」という言葉が印象的で、この人は本当にスポーツマンではなくアーティスト気質の人なんだなという思いを強くしました。こういう人がトップに立っているというのが、クライミングというものの面白さや豊かさを表しているようにも思うのです。
2012年・2013年とワールドカップ連覇を果たした「世界のサチ」。2015年ごろから活動の場を完全に岩場に移しています。あれほど実績を残した競技をすっぱりやめたのはなぜか、そして岩場の魅力はなんなのかということを聞きました。
ハイボルダーに興味があるという意外な話も聞けましたが、このときはどうも方向性に迷っているようにも見えました。が、その後、年末から今年にかけて、5.15a、5.15bと国内最難グレードを相次いで更新。新たな目標を見出して、最近はまたノリノリに見えます。
ところでこの取材、奥多摩の大沢ボルダーで行なったのですが、本当は瑞牆山でやる予定だったのです。
朝、瑞牆で集合して、さあ行こうかというときに、安間さんが「ああっ!!」と絶叫。なにかと思ったら、シューズを家に置き忘れてきたとのこと。なにか手立てはないか、いろいろ考えましたが、結局シューズを取りに帰るほかないという結論になり、そこから時間的に転戦できる場として、大沢ボルダーになったというわけです。次の村井さんも瑞牆だったので、エリアがかぶらずにすみ、結果的にはむしろラッキーでありました。
撮影は、photo山さんこと山本浩明さん。10年以上前からお世話になっているボルダリング写真の巨匠です。
そしてこれもまた二度目の村井隆一さん。瑞牆山で、フォトセッション的な取材をさせてもらいました。撮影は、初めて組むカメラマンの茂田羽生さん。
村井さんが取り組んでいる「Decided」という激ハード課題から、「インドラ」などの有名課題で撮影。茂田さん、クライミング撮影は経験がないと言ってましたが、インドラの写真などはかなり印象的に仕上がっています。
しかしこの取材、今度は私が大寝坊。村井さんと茂田さんを数時間も待たせてしまいました。取材に寝坊したなど近年記憶になく、すっかり油断していました。以来、それまで寝るときには仕事部屋に置いたままにしていた携帯電話は、枕元に置くようになりました。村井さんと茂田さん、その節はすみませんでした。
小山田・安間・村井さんの記事はこちらに収録。
どれも4~6ページあるので、読み応えあります。
アメリカ・ビショップにある「Lucid Dreaming」という激ムズ課題に、2年間通い続けて成功した中島徹さんと、その一部始終をムービー作品に仕上げた橋本今史さんの対談原稿を作りました。
詳細はリンク先を見てほしいのですが、原稿作成時に発見したことがひとつ。中島さんは声の通りがよく、話し方も論理的な一方、橋本さんはなんだかふにゃふにゃしています。だから対談を聞いていたときは、圧倒的に中島さんの発言が記憶に残ったのですが、文字に起こしてみると、説得力抜群に聞こえた中島さんの発言が思ったより内容が薄かったり、逆に、橋本さんがじつは深いことを言っていたりしたことを発見しました。同じ内容でも、しゃべるのと文字にするのでは、受け取り方が驚くほど変わるということにあらためて気づいた取材でした。
対談はこちら。SPECIAL TALK SESSIONというページに対談は収録されています。
現在、世界最高の選手層の厚さを誇り、世界で勝つより日本で勝つほうが難しいといえるほどの男子ボルダリング界で、つい最近もオリンピック強化選手枠を勝ち取った19歳(取材時は18歳)。ルックスはなんだかチャラそうなのですが、実際に会ってみると、伏し目がちでおとなしく真面目そう。中身と見た目にギャップがあるタイプでした。
驚いたのは、4年くらい前までコンペの存在も海外の有名クライマーなどの名も知らなかったということ。外の情報をほとんど知らないままに、地元のジムでひたすらクライミングしていただけというのです。初めてのコンペが初リードだった(しかもそれで国体入賞)というのも驚き。
記事はこちら。
岐阜に住む16歳。小学生時代にコンペで圧勝する姿を見たことがあり、そのときから注目していました。
4年ぶりに会いましたが、クライマーとしての成長、人としての成長など、とても考えさせられ、思いのほか深い取材になりました。記事を読んだお父様から、娘に対する思いあふれる、じーんとくる言葉をいただいたことも感激的でした。ホームジムの「グッぼる」もとてもいいジムだと思いました。あたたかく支えてくれる人は宝ですね。がんばれカリンちゃん。応援してますよ。
記事はこちら。
そして再び中嶋さん。Lucid Dreaming成功へのメンタルについて詳しく聞きました。メンタルという言葉にしにくいものを、めちゃくちゃわかりやすくしゃべってくれました。もう、すばらしいのひとことです。中嶋徹最高。クライマーにとって大いにヒントとなる金言がつまったインタビューになりました。この記事は必読かと思います。
取材は、京都大学のクライミングウォール(通称京大ウォール)で。有名な吉田寮の横にあり、この吉田寮がまたインパクト絶大。日本とは思えない風景です。記事冒頭の写真もここで撮りました。
記事はこちらに
以上が2017年に取材させてもらった人たちです。
2018年の今年も、すでにふたりを取材済み。ひとりはこの人。
高校生クライマーの土肥圭太くん。この写真、カッコいいでしょ!? 近年一の自信作。土肥くん自身もかなりイケメンであり、人気が出そうです。つい最近、オリンピック強化選手枠にも滑り込みました。自信なさげなことを言っていながら、結果的にはデカいことをやってのける。記事で書いたことそのままを早くも地で行ってます。4月10日に好日山荘で発売開始の『Guddei research』に記事は載っています。
もうひとりは、なんとこの人であります。
驚異のフリーソロイスト、ヨセミテのエルキャピタンをボルダリングした男(実際に、「エルキャピタンは1000mのV7だね」と言ってました)、アレックス・オノルド。つい最近取材したばっかり。6月発売の『ROCK & SNOW』にがっつり記事が載るほか、PEAKSとかにもニュース的な記事が出る予定。ご期待ください。私も楽しみ。
年末にやっておこうと思っていながらのびのびになってしまって気になっていた企画がありまして、ようやくスキができたのでここで片付けておこうと思います。
2017年に取材させてもらったクライマー一覧。数えてみたら、1年間で15人(そのうち3人は2回)を取材していました。下は14歳から上は48歳まで(取材当時)。人工壁のスポーツクライマーからゴリゴリの岩場派まで多種多様。
クライマーの取材、いまいちばん楽しい仕事なのです。みんな「登りたい!」という純粋なモチベーションにあふれていて、そういう人に会うのは、こちらもすごい刺激になります。心が洗われるようです。
では、取材日順にいきましょう。
2月
伊藤ふたば
1月に行なわれたボルダリング・ジャパンカップで、野口啓代・野中生萌の2大巨頭を抑えて優勝し、2017年いっきに注目が集まった14歳。
この1年前にも取材させてもらっていたのだけど、そのときとは環境が激変。地元盛岡の山岳協会が取材を取り仕切るようになり、単独取材は許可が出ず、テレビや新聞などの記者が多数集まるなかでの合同取材でした。
この写真がいちばん現場の雰囲気を示してるかな。四方から無言でカメラを向けてくる無数の報道カメラマンに加えて、記者はというと、「好きな食べ物はなんですか」みたいな質問ばかり。クライミングに大して興味もないのに大人の事情で取材を続ける報道陣に囲まれて、ひとり置いてきぼりのような14歳の女の子。
これがオリンピックのホープの定めとはいえ、あんまりかわいそうに思えて、くだらない雑談含めて意識的に声をかけてあげるようにしていました。あれから1年。もうこういう状況には慣れたかもしれないけど、負けるな、ふたばちゃん!
記事はこれに
大場美和
こういう動画とか
「ファイト不発」のCMとか
で有名になった、19歳のユースクライマー。動画のイメージどおり、おっとりぽわんとした女性でした。取材は彼女がホームとしている横浜のクライミングジム、プロジェクトで。じつはここ、のちほど出てくる小山田大さんのジム。ほわっとした10代の女性と、世界最強ボルダラーの組み合わせは意外に思えましたが、行ってみて納得しました。
大場さんは小学生だか中学生だかのころに、地元のジムに来た小山田さんに接して、人柄に自分と通じるものを感じたそうです。小山田さんは、パブリックなイメージはストイックで気難しそうですが、素顔は子どものように無邪気な人物。その裏表のないところに惹かれて、進学先を決めるときにプロジェクトに近い大学を選んだということでした。
2016年は、コンペの成績に伸び悩んでいたようでしたが、秋に小山田さんに誘われてドイツの岩場ツアーに行き、岩場に新たな楽しみを見出したそうです。
小山田さん自身が、コンペから岩場に転身してクライマーとして開花した人物。スポーツ化が進む現在のクライミングは、競技者としていったん壁に当たると袋小路に入ってしまいがちですが、本来クライミングは多様なベクトルをもったもの。それを身をもって知る師匠に恵まれたのは、大場さんの大きな財産のように思えました。
記事はこちらで読めます(要PDFダウンロード)
村井隆一
外岩の若き刺客。「小山田大を超えるのはこいつだ」とささやかれるほどの才能。大学を卒業し、アルバイトしていたジムAPEXに春から就職するタイミングでの取材になりました。
2016年に岩場での大活躍で注目された村井さんですが、『インドアボルダリングブック』という本の取材だったので、聞く内容はジムのこと。ええ~、いま村井隆一を取材するなら岩場のこと聞かないとヘンでしょ~と思ったのですが、担当編集部員Nが村井さんのファンで、ぜひ登場させたいというのでジムのことを聞いてきました。村井さん初対面だったのですが、クレバーな人で、本の趣旨を理解してちゃんと意味あること語ってくれました。
村井さん、近ごろは岩場での活躍が圧倒的に目立っていましたが、もともと競技クライミングのナショナルチームの一員でもあります。今年2月には、久しぶりにコンペの場でも爆発。ボルダリング・ジャパンカップで楢崎智亜さんをも抑えて2位に入りました。やはり才能は底知れないです。
小山田 大
泣く子も黙る最強ボルダラー。国内外で初登した課題の難しさは他の追随を許さず、40歳となっても日本のボルダリング界に君臨しています。
この岩場の申し子になぜか、ジムのことを聞いてきました。理由は、これまた編集部の希望によるもの。ビッグネームを登場させたいという気持ちはわかるが、企画内容との相性というものもあるだろ~と思いつつ取材。が、岩場の申し子とはいえ、ジムの経営者でもあり、人工壁でクライミングを覚えた第一世代ということもあり、普段とは違った角度でいろいろ面白い話が聞けました。
室井登喜男
なんでこの人をインドアボルダリングムックで?3連発の3人目は、なんと室井登喜男。日本の岩場ボルダリングを現在のかたちに作りあげた人物といっても過言ではありません。
いま日本を代表するエリアのひとつになっている御岳は、この人が自費出版で作ったルート図集をきっかけに、人気エリアとなりました。もうひとつの一大エリア、瑞牆に至っては、訪れる人などだれもいなかった時代に、ひとりでコツコツと通って1000本以上の課題を初登することで現在の姿になったのであります。まさに伝説の男。
そんな男にジムのことを聞くのは気が引けましたが、素顔の室井さんって、やたら腰が低く、柔軟な人なんですよ(体も異常にやわらかい)。「岩場にはジムにない魅力があるし、ジムには岩場では体験できないおもしろさがある」という言葉が印象的でした。
3月
渡辺沙亜里
いまコンペで、いちばん”魅せる”クライミングをしてくれる女性クライマーはこの人でしょう。ガッツあふれる登りは思わず応援したくなります。天才少女として騒がれ、23歳で結婚・出産、25歳で再びコンペの第一線に戻ってきたという、激動のクライミング人生。
子どもをもつ身でありながら、アスリートとしても活躍する日々について、福岡まで行って聞いてきました。夫はこれまた有名強強クライマーの渡辺数馬さん。福岡でジップロックというジムを夫婦でやっています。
伊藤・村井・小山田・室井・渡辺さんの記事はこちらに収録
4月
倉上慶大
いまいちばんヤバい男。ただでさえ危険なことで名高い湯川の「白髪鬼」(5.13d R)というルートを、ソロで登る!(ロープは使用)ので写真撮ってほしいと頼まれて行ってきました。
これは何かの取材というわけではなくプライベート。しかしルートがルートだけに、こちらも気合と細心の注意をもって臨みました。結果は目を覆いたくなるようなグラウンドフォール。カムが3本くらい吹っ飛びました。
幸い足首のねんざだけですみ、2週間後くらいに早くも再トライして、白髪鬼のダイレクトフィニッシュとなる「燈明」(5.13d/14a R)というラインまで完成させてしまいました(このときは私は不在)。
倉上さんはヤバいクライマーとして知られていますが、素顔はきわめて常識人かつ、絵に描いたような好青年で愛すべき男。ところが自身でも制御不能なほどのモチベーションモンスターで、やりたいプロジェクトがまだまだいくつもあるそうです。大ケガだけはしないようにと見守るのみです。
この雑誌にこのときの写真が使われています。
それからアメリカのクライミングメディア「Alpinist」のウェブに記事が出ました。Alpinistといえば、世界でもっとも格調高いクライミング雑誌。ここに自分の名前が載ったというのは感激。倉上さんのおかげです。ありがとう。
澤田 実
アルパインクライマーであり山岳ガイド。澤田さんが使っているグレゴリーザックの広告企画として記事を書かせてもらいました。
澤田さんは私と同年代で、北海道大学探検部出身。同じく大学探検部出身の私は一方的に親近感を抱いておりました。探検部出身の登山家やクライマーはなんとなく共通した雰囲気があるような気がします。ひとことでいえば自由。それが悪いほうに出ると私や角幡唯介のようになり、いいほうに出ると澤田さんのようなキャラクターになるようです。
ところでこの記事、ちょっとした手違いがあり、一度完成していながらお蔵入りになってしまった別バージョンがあります。自分的にはそちらのほうが気に入っていたので、機会があれば公開したい。小川山レイバックギター初登(=ギターを背負っての初登。ついでに中間のレッジで尾崎豊を熱唱)の話も出てきますよ。
記事はこちら。
「その隔絶感、辺境感が最大の魅力」。山岳ガイド澤田実さんが挑み続ける冬の黒部横断の記録 | Akimama
5月
今泉結太
自分としても毎回楽しみな『Guddei research』(好日山荘情報誌)での次世代クライマーの連載。八王子で行なわれたワールドカップに16歳という男子最年少で出場した今泉結太くんを取材しました。ヤンチャな「ザ・男子高校生」という感じでしたが、なかなかイケメンで、侍ギタリストのMIYAVIになんか似てるなと思いました。
ところで今泉くん、基本は競技クライマーなのですが、将来的には岩場指向とのこと。彼のSNSも、最近はすっかり岩場の話が中心。次に出てくる青木達哉さんがクライミング師匠で、「ティミー、ティミー(青木さんの愛称)」とタメ口で慕う青木さんにくっついて、岩場によく行っているそうです。
世界的なアルピニストのいるジムなんてそうはなく、恵まれているといえるでしょう。どういうジムで育つかというのは、クライマーとしてのその後を大きく左右するのだなあとも感じました。
記事はこちらで読めます(要PDFダウンロード)
青木達哉
今泉くんの翌週に小川山で取材させてもらったのが、今泉くんのクライミング師匠、青木達哉さん。K2の日本人最年少登頂者、ピオレドール受賞者、つくばスポーレの店長など、さまざまな肩書きをもつクライマーです。
これはマムートの広告記事だったのですが、取材はマラ岩「ペタシマン」(5.13c)で本気トライ。登れませんでしたが、いいものを見せてもらいました。近ごろクライマー取材は自分で写真も撮ることが多いのですが、この取材では私はビレイ役。撮影は、スーパーアルパインクライマーとしても知られる高柳傑さんでした。
記事はこちらに
小山田大
再び小山田さんであります。今度は本業というべき岩場の話を聞きに行ってきました。取材地は、小山田さんがエリア開拓に中心的にかかわった、岐阜の笠置山。かなり暖かくて、本気で登るにはもう暑すぎるという時期でしたが、エリア整備作業のかたわら、現地の東屋でのんびりと話を聞きました。
「ぼくスポーツきらいなんですよ」という言葉が印象的で、この人は本当にスポーツマンではなくアーティスト気質の人なんだなという思いを強くしました。こういう人がトップに立っているというのが、クライミングというものの面白さや豊かさを表しているようにも思うのです。
6月
安間佐千
2012年・2013年とワールドカップ連覇を果たした「世界のサチ」。2015年ごろから活動の場を完全に岩場に移しています。あれほど実績を残した競技をすっぱりやめたのはなぜか、そして岩場の魅力はなんなのかということを聞きました。
ハイボルダーに興味があるという意外な話も聞けましたが、このときはどうも方向性に迷っているようにも見えました。が、その後、年末から今年にかけて、5.15a、5.15bと国内最難グレードを相次いで更新。新たな目標を見出して、最近はまたノリノリに見えます。
ところでこの取材、奥多摩の大沢ボルダーで行なったのですが、本当は瑞牆山でやる予定だったのです。
朝、瑞牆で集合して、さあ行こうかというときに、安間さんが「ああっ!!」と絶叫。なにかと思ったら、シューズを家に置き忘れてきたとのこと。なにか手立てはないか、いろいろ考えましたが、結局シューズを取りに帰るほかないという結論になり、そこから時間的に転戦できる場として、大沢ボルダーになったというわけです。次の村井さんも瑞牆だったので、エリアがかぶらずにすみ、結果的にはむしろラッキーでありました。
撮影は、photo山さんこと山本浩明さん。10年以上前からお世話になっているボルダリング写真の巨匠です。
村井隆一
そしてこれもまた二度目の村井隆一さん。瑞牆山で、フォトセッション的な取材をさせてもらいました。撮影は、初めて組むカメラマンの茂田羽生さん。
村井さんが取り組んでいる「Decided」という激ハード課題から、「インドラ」などの有名課題で撮影。茂田さん、クライミング撮影は経験がないと言ってましたが、インドラの写真などはかなり印象的に仕上がっています。
しかしこの取材、今度は私が大寝坊。村井さんと茂田さんを数時間も待たせてしまいました。取材に寝坊したなど近年記憶になく、すっかり油断していました。以来、それまで寝るときには仕事部屋に置いたままにしていた携帯電話は、枕元に置くようになりました。村井さんと茂田さん、その節はすみませんでした。
小山田・安間・村井さんの記事はこちらに収録。
どれも4~6ページあるので、読み応えあります。
8月
中嶋徹×橋本今史
アメリカ・ビショップにある「Lucid Dreaming」という激ムズ課題に、2年間通い続けて成功した中島徹さんと、その一部始終をムービー作品に仕上げた橋本今史さんの対談原稿を作りました。
詳細はリンク先を見てほしいのですが、原稿作成時に発見したことがひとつ。中島さんは声の通りがよく、話し方も論理的な一方、橋本さんはなんだかふにゃふにゃしています。だから対談を聞いていたときは、圧倒的に中島さんの発言が記憶に残ったのですが、文字に起こしてみると、説得力抜群に聞こえた中島さんの発言が思ったより内容が薄かったり、逆に、橋本さんがじつは深いことを言っていたりしたことを発見しました。同じ内容でも、しゃべるのと文字にするのでは、受け取り方が驚くほど変わるということにあらためて気づいた取材でした。
対談はこちら。SPECIAL TALK SESSIONというページに対談は収録されています。
原田 海
現在、世界最高の選手層の厚さを誇り、世界で勝つより日本で勝つほうが難しいといえるほどの男子ボルダリング界で、つい最近もオリンピック強化選手枠を勝ち取った19歳(取材時は18歳)。ルックスはなんだかチャラそうなのですが、実際に会ってみると、伏し目がちでおとなしく真面目そう。中身と見た目にギャップがあるタイプでした。
驚いたのは、4年くらい前までコンペの存在も海外の有名クライマーなどの名も知らなかったということ。外の情報をほとんど知らないままに、地元のジムでひたすらクライミングしていただけというのです。初めてのコンペが初リードだった(しかもそれで国体入賞)というのも驚き。
記事はこちら。
11月
小島果琳
岐阜に住む16歳。小学生時代にコンペで圧勝する姿を見たことがあり、そのときから注目していました。
4年ぶりに会いましたが、クライマーとしての成長、人としての成長など、とても考えさせられ、思いのほか深い取材になりました。記事を読んだお父様から、娘に対する思いあふれる、じーんとくる言葉をいただいたことも感激的でした。ホームジムの「グッぼる」もとてもいいジムだと思いました。あたたかく支えてくれる人は宝ですね。がんばれカリンちゃん。応援してますよ。
記事はこちら。
12月
中嶋 徹
そして再び中嶋さん。Lucid Dreaming成功へのメンタルについて詳しく聞きました。メンタルという言葉にしにくいものを、めちゃくちゃわかりやすくしゃべってくれました。もう、すばらしいのひとことです。中嶋徹最高。クライマーにとって大いにヒントとなる金言がつまったインタビューになりました。この記事は必読かと思います。
取材は、京都大学のクライミングウォール(通称京大ウォール)で。有名な吉田寮の横にあり、この吉田寮がまたインパクト絶大。日本とは思えない風景です。記事冒頭の写真もここで撮りました。
記事はこちらに
以上が2017年に取材させてもらった人たちです。
2018年の今年も、すでにふたりを取材済み。ひとりはこの人。
高校生クライマーの土肥圭太くん。この写真、カッコいいでしょ!? 近年一の自信作。土肥くん自身もかなりイケメンであり、人気が出そうです。つい最近、オリンピック強化選手枠にも滑り込みました。自信なさげなことを言っていながら、結果的にはデカいことをやってのける。記事で書いたことそのままを早くも地で行ってます。4月10日に好日山荘で発売開始の『Guddei research』に記事は載っています。
もうひとりは、なんとこの人であります。
驚異のフリーソロイスト、ヨセミテのエルキャピタンをボルダリングした男(実際に、「エルキャピタンは1000mのV7だね」と言ってました)、アレックス・オノルド。つい最近取材したばっかり。6月発売の『ROCK & SNOW』にがっつり記事が載るほか、PEAKSとかにもニュース的な記事が出る予定。ご期待ください。私も楽しみ。