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2017年11月27日月曜日

The World's Best Belayer





ザ・ワールズ・ベスト・ビレイヤー(世界最高のビレイヤー)


クライミングギアメーカーのペツルが作ったバカ動画です。Ray Verseau(レイ・ベルソー? ルベルソをもじった名前と思われます)という、世界最高のビレイ技術を持った男を紹介するというもの。


デイブ・グラハムとかクリス・シャーマとか、世界のクライミングスターが多数出てきて、「ヤツは最高だよ」などと語ります。どんな墜落も止めてしまう技術があるうえに、ヘルメットのバイザーにモニター的なものが仕込まれていて、落下距離やグラウンドフォールの確率などを瞬時に映し出してくれるという、スゴいギアも持っています。もちろん全部ジョークです。


笑いどころはたくさんあるのですが、個人的にツボだったのは、ゴルゴ13のようなアタッシュケースに愛用のデバイスがずらりと収められているところや、早撃ちガンマンのようにグリグリをカシャーンとセットするところ、そして、終盤、ニール・グレシャムが「彼は最高なんだが、問題はギャラが高いことだ」などと大真面目な顔で語っているあたり。


バカだな~と笑って見ていただければそれでOKという動画ですが、終盤、なんと私がチラッと登場しています。9分11秒くらいのところ。1月にグリグリ+のメディアツアーで行ったバルセロナのクリス・シャーマ・ジムで撮影されました。カメラマンとRay(本名Jean Siuen)が近寄ってきて、「Jeanを映画スターかなんかと思って、ミーハーにセルフィーでもやってくれないか」と言うのです。そのあと、カメラに向かって、「私はこの映像を使用することを許可します」みたいなことを言わされました。こんな動画になるとは知らなかったなあ~。面白いから全然OKですが。


それにしても、こんなアホなことにこんな時間と労力をかける欧米人のお笑い精神、私は大好きであります。第3弾も期待しております。


ちなみに、元ネタというか、ペツルのバカビレイ動画の第1弾はこちら。これは逆に「ワースト・ビレイヤー」。お笑いなんですが、ビレイ技術の教材としても使えます。これも面白いですよ。






2017年11月22日水曜日

「校正」と「確認」は違うぜよ

【メディア業界の専門的な話です】

最近、というかここ7~8年くらい、「校正確認」という言葉を見聞きする機会が増えました。記事を作る際に協力してもらった人や企業・団体などに、内容に問題がないか確認してもらう作業のことを指しています。しかしこの言葉、違和感がありまして、個人的には使わないようにしています。


なぜかというと。


「校正」というのは、誤字や脱字など、文章上のミスを正す作業を指します。「生年月日が違ってます」とか「価格が間違ってます」とか「こんなこと言ってません」とか、そういう事実を正す作業は、「校正」ではなく、たんなる「確認」であるからです。


ところが、だれが言い始めたのか、私の周りでは日常的に聞きます。編集者などに「校正確認すんでますか」と聞かれるたびに、「ええ、『確認』ずみです」などと、意地を張って校正という言葉を使わないようにしたりしているのですが、あまりの多さに面倒で流すときもあります。


そんな細かい言葉の問題にこだわらなくてもいいのかもしれないけれど、こだわりたい理由があります。それは、「校正確認お願いします」と頼むと、「えっ、あんたが書いた文章のミスをおれが正さなきゃいけないの?」と受け取る人がいるから。「そんなやついないよ」と思う人は、日常的に校正という言葉を使っていて、校正という言葉に対する感覚が麻痺しているのでしょう。普通の人は日常で校正なんて言葉は滅多に使わないので、「校正お願いします」と言われたら、辞書どおりの意味にとってしまうものです。


だから、「校正確認」やめようぜ、という話でした。「校正確認撲滅委員会」でも立ち上げようかな。同志募集。


*これ、もしかしたら私の周りだけで起こっている事象かもしれません。同じ出版・メディア業界でも、私の付き合いのないところでは「なんじゃそりゃ、そんな変な言い方しないよ」というところが大半という可能性もあります。



2017年11月19日日曜日

富士山にヘルメットって必要なんだろうか


くらしナビ・気象・防災:富士登山、頭は守れるか - 毎日新聞


こういう記事を読んだ。要するに、富士山でヘルメット普及活動が進んでいるが、登山者の利用はかんばしくないという内容。


ここ数年、富士山でやけにヘルメットがアツく語られているけれど、個人的には疑問に感じています。富士山にヘルメットって必要なんだろうか?と。


そりゃもちろん、かぶることによって安全性が高まることは間違いないけれど、それは100あるリスクを98に減らすようなものであって、その一方で犠牲にするものが大きすぎるように思うのです。もしかしたら、ケガのリスクは2減っても、熱中症になるリスクが10ぐらい増えて、トータルではかえってリスクを抱え込む結果になるんじゃないかと思えるほど、得られるメリットは薄い。


富士山でヘルメットの着用が声高に叫ばれるようになったのは、2014年の御嶽山の噴火事故以後のこと。確かに御嶽の噴火のときは、ヘルメットの有無が生死を分けることもあったようです。ただ、ああいう噴火事故は非常にレアなケースであって、それへの備えとして新たに道具を用意するというのは現実的な選択とは思えません(富士山の噴火可能性が有意に高まっているという事実があるなら、話はまったく別ですが)


落石や滑落に備えてかぶりましょうというのならまだわかるけれど、いったい富士山で、頭部に致命的なダメージを負った事故ってどれくらいあるんでしょうか。ここの検証は、少なくとも私は見たことがありません。上の記事にも「山梨県警によると、今年7~8月の遭難者のうち約6割が転落や滑落、転倒による事故だった」と思わせぶりな記述があるだけで、それとヘルメットとの関係性はぼんやりとスルーされています。


自分の経験からすると、富士山でヘルメットっていらないと思うし、仮に必要なんだとしたら、日本の多くの山でも同じようにヘルメットが必要になってしまう。


記事では、登山者がヘルメットをかぶらない理由として、「夏場で暑いからか、ファッション性がないからか、他にかぶっている人が少ないからか」という、地元職員のコメントを紹介していますが、全部そのとおりだと思います。


もうひとつ重要なのは値段。登山用のヘルメットは1万円前後もして高いのです。近ごろは軽量化と通気性アップとデザイン性アップが進んで、かぶっていてもストレスを感じないものが増えましたが、そういうものこそ高い。ホームセンターで売っている安全帽(いわゆるドカヘル)なら1000円くらいで買えるものもありますが、それはかぶり心地悪いし、重いし、蒸れるし、なにより、あまりにもカッコ悪い(安全帽屋さんすみません)。


要するに、富士山でヘルメットをかぶるという行為は、コストパフォーマンスが低すぎると思うわけです。安全性をコストパフォーマンスで語るのはいいことではないけれど、低いリスクに備えるためにほかのすべてを犠牲にしてもいいというものでもないでしょう。そのへんの現実を無視した施策は、あまりいい結果を生まないと思うんですよね。

【補足】
ここでいう「コスト」とはお金のことばかりではないです。「ヘルメットを導入することで負わなければならないマイナス要因すべて」です。装備の重量増もそうだし、快適性低下、ファッション性低下もすべて含んでいます。




ヘルメットについてちょろっと調べていたら、こんなものを発見しました。この値段ならギリ許容範囲(しかもサングラス付き!)。クライミングで使わないなら、自転車用ヘルメットは通気性が高くて軽くて、夏山登山用ヘルメットとしてはじつはかなり快適なのです。ドカヘルみたいなものかぶるよりは断然おすすめです。





2017年10月23日月曜日

もはや「地図読み」は終わった技術なのかもしれない

先日、越後駒ヶ岳に登ってきました。持っていった地図は、『山と高原地図』の電子版。スマホで見るやつです。1枚500円と安いことと(紙版の半額)、山行前夜でも買える便利さなどから、最近はもっぱらこれを利用しています(プラス、国土地理院サイトからプリントした地形図を持つのが最近の自分的定番)。


現場でそれを見ていたときに、いっしょに行った人と話したんですが、もしかして、「もう地図読みって、大多数の人には不要な技術になったんじゃないのか?」


なにしろ、スマホの画面はこれなわけです。

「コレ」で示した青いマークが現在地表示(ちなみに上下がオレンジ色なのは、電池残量が少ないことの警告です。やばいやばい笑)


もうこれを見たら、現在地は一撃でわかるわけです。地図が読めなかろうが、どんなにどんくさいヤツだろうが、これなら間違えようがない。しかも現在のGPSは精度が高く、ほとんどズレがない。地形図とコンパスを使って現在地を割り出すよりよほど正確なのです。


かつて、ガーミン等のGPS受信機が登場し始めたころは(20年近く前)、画面には北緯や東経の数字が表示されるだけで、普通の人が使いこなせるものではとてもありませんでした。地図が表示されるようになってからはだいぶ使いやすくなりましたが、価格が5万円前後かそれ以上、それに地図ソフトがまた高価で、普通の登山者にすすめられるものではありませんでした。だから私も、地図読み技術はまだ重要だと思っていました。


ところが、いまは『山と高原地図』以外にも、山で使えるスマホ地図アプリがたくさんあります。これらはアプリも地図データも無料かあるいは安価。測位精度もいまや専用受信機と変わらず。画面表示は専用受信機より数段きれいで見やすい。操作は手慣れたタップやピンチで可能。数年前までは、操作がわかりにくいものが多かったのですが、だいぶ洗練されてきました。となると、使わない手はないんじゃないのかと。


登山雑誌では、地図読み特集というのは鉄板企画で、これをやると売上がだいたい伸びます。それくらい多くの人が地図を読めるようになりたいと思っているわけですよね。ところが、地図読みというのはなかなか難しい技術で、そうそう一朝一夕には身につきません。ましてや本を読んだだけでわかるものでもないのです。ならば、スマホ一発で解決してしまうほうが話が早いし、求める結果(道迷いの防止)を得られるのではないか。それがもうだれにでも可能な時代になったのではないか。




きょうフェイスブックでたまたま見かけた投稿に、こんなのがありました。書いているのは、「ジオグラフィカ」というGPSアプリの開発元なのですが、書いてあることはほぼ全面的に同意です。




「読図にとってGPSは入口であり先生であり、アドバイザーです」

「(スマホGPSは山でも)普通に使えます。圏外でも機内モードでも使えます。谷間でも(機種による差はあるけど)測位します」

「読図は普通、手段であり目的ではありません。読図が目的の登山があってもいいでしょうが、そうでない登山もあります」

「測位衛星が何十機と飛んでいる現代において、山岳遭難の4割が道迷い遭難だなんてどうかしてます」


――おっしゃるとおりかと。




念のため書いておくと、私自身は読図が大好きで大得意であります。地図を駆使して道なき山にルートを見出し進んでいく登山が大好きです。あらゆる登山ジャンルのなかで、これがいちばん得意といってもよいほどです。微妙な起伏と地図の等高線を読み取り、コンパスが指す方角、目の前の植生、経験によるカンなども組み合わせて、難しいセクションをクリアしたときなど、よっしゃー!!と叫びたくなります。


私が大事にしてきた、そういう登山の楽しみが、スマホ一発で無意味になってしまうのは、味気なくもあり、寂しい思いもします。


ただしそういう楽しみは、いまや一部のマニア(私など)や、一部の特殊用途を必要とする人のための技術になり、大多数の人にとっては基本的に不要なものになりつつある。昔のカメラはピントや露出などの知識がないとまともに写らなかったけれど、いまは全自動でだれもが一定のクオリティの写真を撮れる。スマホで写真を撮っている人に「露出とピントを自分で決められなければ写真とはいえない」と言うのがナンセンスであるように、「地図読みの技術は登山に必須だ」という常識も時代の遺物になりつつあるのではないか。


だからもしかしたら、登山雑誌も「地図読み特集」はもうやめて、「スマホアプリ徹底使いこなし術」を特集したほうが役に立つのではなかろうか。越後駒であらためてそんなことを思ったのでした。



2017年9月22日金曜日

雑誌とウェブの文章の違い

近ごろウェブに文章を書く機会が増えた。雑誌と決定的に違うのが文章量の制限。雑誌は文章量のしばりというのはかなり厳しく、1行単位できっちり合わせていかないといけない。「3000字」という原稿があったとしても、それはWordとかで文字カウントした3000字ではなく、「16字×187行」だったりするわけである。この場合、許される誤差はプラスマイナス7文字程度となり、かなり精度の高い文字数管理が必要になる。写真のキャプションなんかは1文字2文字単位で字数調整をしなくてはならないこともしばしば。一方ウェブは、おおまかな目安はあっても、基本的にアバウトであり、3000字の依頼のところを5000字書いてもそんなに問題はない。雑誌原稿の場合、文字数を気にして端折った説明にならざるを得ないことも多かったので、書きたいだけ書けるのはいいなあと感じている。だけれども、こちらに慣れてしまうと文章が冗長になりがちという落とし穴があることにも最近気づいた。雑誌原稿のように制限があると、限られたなかでいかに密度濃く伝えられるかということに心を砕く。それはしんどい作業ではあるのだけど、考えて工夫せざるを得ないだけに、表現の幅や語彙は増えたような気がする。新聞などは雑誌よりもっと文字数制限が厳しいので、そこで日々文章を書いている新聞記者が簡潔でわかりやすい文章を書けるようになるのは当然のことといえよう。ところが、新聞記者あがりの作家・角幡唯介が言っていたのだけど、新聞記者をやっていると、文章があまりに簡潔になりすぎて、味わいのある文章とか長い文章が書けなくなってしまうのだという。となると、制限はあったほうがいいのか、ないほうがいいのか、どちらなんだ。ということがよくわからなくなったところで本日の文章は終わり。(732字)

2017年9月18日月曜日

驚異のハイフリクションシューズ




感動した!!


いやもう、すんごいのであるフリクションが!!!!


登山道具でこれだけ劇的な効果に感激したのは、パタゴニアのナノ・エア・フーディ以来でであろうか。モンベルの沢登りシューズ、サワートレッカーRS。もっと正確にいえば、それに使われている「アクアグリッパー」というソールの威力にである!!!



これがアクアグリッパーソール



先週、群馬のナルミズ沢に沢登りに行った。沢登りに行くのは久しぶりで、私の沢用シューズはもうぼろかったので新調することにした。そこで選んだのがサワートレッカーRS。前々からラバーソールを備えた沢用シューズを試してみたいと思っていたので、これにしてみたというわけである。


とはいえ、ラバーソールの沢靴なんて使えるのか?という疑問というか不安も大きく、買って失敗という結果も半分覚悟していた。周囲で使っている人からは「けっこういい」という評判を聞いてはいたものの、沢といえばフェルトソール絶対世代の自分にとっては、ラバーソールがいいと言われたって、とてもじゃないけど信用できなかったのである。


ところが!


ホントにこれが滑らない。濡れた岩を踏んでも滑らないラバーソールなんて!! なんだこの感覚。信じられない!!! 最初はおそるおそる歩いていたが、こいつは信用できるぞ!


さらに驚かされたのは、滝を高巻いたとき。泥やヤブの急斜面の安定感たるや! フェルトソールの弱点はここで、濡れた岩の上ではいいけれど、高巻きで不安定になるのだけど、サワートレッカーRSはめちゃくちゃ安定して歩ける!


たとえばこういうシーン。トラバース斜面で笹の茎を斜めに踏みつけていかざるを得ないようなとき。登山で遭遇するあらゆる路面のなかで、もっともやっかいな一瞬といっても過言ではありません。が! ここでもグッと踏ん張ってグリップしてくれるのです。こんな靴初めて。これは驚きの体験であります。





一般登山道でも、道に横たわる木の根を踏んで、ズベッと横滑りしたこと、登山をしている人なら必ず一度は体験しているんじゃないでしょうか。だからそういうところは不用意に踏まないようにしているはずですが、このアクアグリッパーは、そんなところでもグリップしてくれるのである! これは革命ですよ、革命!

こういうところ




さらにさらに、これまたフェルトソールが苦手とするエッジングもやりやすい! だから傾斜のある滝が登りやすい!


エッジングというのはこういうやつ。小さな角にソールのエッジだけで立つこと


こういうシーンでじつに頼りになるのである



検証・フリクション


さて、問題はそれ以外の部分。沢歩きの大半を占める、ツルツルした岩にベタ置きしたときのフリクション。ここはもちろん、フェルトソールにはかなわない。とくに、コケに覆われていたり、ヌメリがある岩では、フェルトと明らかな差がある。モンベルではこんな比較表をカタログに載せています。



ただし、コケやヌメリのある岩は見ればわかるので、問題は大きくないと感じた。それに聞いていたほどコケに弱くはなく、個人的体感としてはこんな感じか(ウールフェルトは履いたことがないのでわからない)。




実際にどんなところまでOKだったか、体感を載せてみる。


これくらいの傾斜と濡れ具合なら十分いける


楽勝


左(濡れている)はOK。右の色が濃い部分は注意が必要


コケの部分を踏まなければOK


これは滑る。注意深くいけば大丈夫だけど、これ以上傾斜が強いときびしい




こんな感じかな。伝わりますでしょうか?




総評


ラバーソール、沢登りで十分使えると感じました。コケなどフェルトに劣る部分はもちろんあるのだけど、草付や泥路面での強さ・エッジングのしやすさ・一般登山道の歩きやすさは、すべてにおいてフェルトを大きく上回る。行程トータルでの安定性・快適性はフェルトより上だというのが私の感想です。


ただし、フェルトより足の置き場を正確に選ぶ必要があるので、どちらかというと中上級者向けなのかな。――と、遡行中は思っていたのだけど、あとで考え直しました。沢登りでいちばん危険なのは高巻きであり、ここでスリップして落ちて死亡という事故はあとを絶ちません。河原でツルンと滑るのはケツを打って痛いとか、せいぜい打撲や捻挫ですみますが、高巻きでのスリップは致命的です。ここで圧倒的な安定感をもつラバーソールは、むしろ初心者向けなのではないでしょうか。


ところでこのアクアグリッパー、実際に作っているのはTRAX(トラックス)というソールメーカーらしく、このメーカー、イボルブのクライミングシューズにソールを提供している会社でもあるんですよね。フリクション命のクライミングシューズ業界で生き残ってきただけに、驚異のフリクションも納得です。




ただし懸念ポイントがふたつ。


フリクション性能と耐久性がトレードオフの関係にあるのは、クライミングシューズでは常識。ゴムはやわらかく粘りをもたせればフリクションが高くなるけれど、減りが速くなる。さわってみればわかるけど、アクアグリッパーもすごい粘りのあるゴムです。どこまでもつかはわからない。ただ、フェルトだって耐久性は大して高くないのだから、ここはそんなに問題にはならないような気もする。


もうひとつは、ナルミズ沢にはマッチしていたけど、ほかの沢でどうかということ。ナルミズ沢はコケ少なめの沢だったのです。奥多摩あたりのヌルヌルコケコケの沢ではきびしかったという話も聞きます。まあ、このへんはしばらくフェルトも併用しつつ、ようすを見るという感じかな。




ラバーソール沢シューズ、別に新製品というわけではなくて、何年も前から登場しているわけで、すでに使っている人からすれば、なにをいまさらという感じかもしれないけど、あまりに感動したので興奮ぎみの文章もご容赦を。


以上、ナルミズ沢からお伝えしました!


2017年8月17日木曜日

TJAR写真集外伝・高橋香と岩崎勉の熱走


先日発売された写真集『TJAR』の巻末に、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)とはなんたるかという文章を書きました。


その最後のほうに、こんなことを書いています。


だれもがレースの主役であり、その証として、ゴールを果たしたときに、優勝者よりも周囲の感動を呼ぶ人も少なくない。


これだけ読むとなんだかきれいごとのようにも聞こえますが、ここを書いたときには、あるふたりの人物を頭に浮かべていました。


ひとりは、2006年の第3回大会で完走を果たした高橋香さん。もうひとりは、2016年の第8回大会で完走した岩崎勉さんです。




伝説のラストラン、高橋香


高橋さんは、2004年の第2回大会に初出場して、無念のリタイヤ。8日目の21時32分、制限時間まであと2時間半のところで心が折れ、井川でレース続行を断念しています。


どうしても完走を果たしたい高橋さんは、2年後の第3回大会にもエントリー。この大会は、出走者6人のうち4人が早々に脱落する波乱の大会になりました。高橋さんも前回よりは速いペースで進んだものの、南アルプスを越えて井川に下りてきたときには、すでに最終日8日目の朝8時。それまでのペースを考えると、制限時間内の完走は微妙という時間でした。


しかしここから高橋さんは、周囲が驚く激走を見せます。このとき、選手に密着していたカメラマンの柏倉陽介や運営の方から届く報告に、私は心動かされました。


「高橋さん、井川に現われました。今日中のゴールは難しいかも…」

「高橋さん、すごい勢いで走ってます!」

「コンビニで買い物中。元気そうです!」

「現在××地点。これ、もしかしたらいけるかも!!」

「19時25分、大浜海岸に着きました!!!」


このときの優勝者は、同じ日の10時48分にゴールした間瀬ちがやさん。これは現在のところ唯一の女性優勝という貴重な記録なのですが、私は高橋さんがゴールしたときのほうが感激しました。間瀬さんには申し訳ないのですが、それだけ、最後の高橋さんの走りは鬼気せまるというか、どうしても完走したいという執念を感じさせるものだったのです。まさに熱走。


今回、写真集の文章を書くために過去の記録を見返していて、高橋さんがこのラストランをどれだけがんばっていたのかという裏付けを発見しました。井川から大浜海岸まで、高橋さんの所要時間は約11時間。現在とはチェックポイントの位置が違うので正確な比較はできませんが、これは、昨年、4日23時間52分という驚異の新記録で優勝した望月将悟さんの区間タイムとあまり変わらないのです!


ふだんの高橋さんはもの静かで、情熱を内に秘めるタイプでした。その高橋さんが見せた完走への執念。そこに私は感動したのです。


ところが、翌年、高橋さんは奥多摩で行なわれていたレース中に、心臓発作で帰らぬ人となってしまいました。この知らせには本当に驚いたし、今でも残念でなりません。


ご両親・ご家族は、高橋さんが情熱を傾けたTJARを知りたい、なにか力になりたいという思いから、その後、レースの手伝いなどをされていました。このことにも、私は胸が熱くなるものがありました。




10年越しの完走、岩崎勉


もうひとりは岩崎勉さん。


2014年、南アルプス兎岳で(森山撮影)



岩崎さんは2006年の第3回大会に出場している、TJARの歴史のなかでもかなり初期メンバーのひとりです。これまで4回出場をしていますが、なかなか完走を果たすことができていませんでした。


2006 菅ノ台でタイムオーバー
2008 不参加
2010 選考会で出場資格を得られず
2012 タイムオーバーとなったが走り続け、8日23時間23分でゴール
2014 西鎌尾根で、救援者支援のためレース離脱


高橋香さんが激走を見せた2006年は、中央アルプスを越えたところでタイムオーバー。2012年は、8日間という制限時間を超えても、自身のチャレンジとして走り続けて太平洋に到達。このときすでにレースは終了しており、深夜でもあることから、海岸にはだれもいないだろうと予想していたけれど、多くの人が待っていてくれて感激したといいます。


台風の直撃を受けた2014年は、運営からの要請を受けて、自らレースを離脱。大荒れの北アルプス稜線上で、救援者の支援にまわりました。この直前には、コース上でうずくまっている選手を見つけ、安全を確認したので先に進んだものの、どうしても気になり、戻ったりもしています。本当にいい人なのです。


2016年大会の最終日、ネットでレースの動向をチェックしていた私は、その岩崎さんが、時間内にゴールできそうなところを進んでいることを知ります。がんばれ!! 思わず画面越しに応援の声をかけそうになりました。


そして17時48分。




どうですか、この最高の表情。私はこれを見たとき、涙が出そうになりました。TJARのゴールシーンというのは、だれもが最高の顔をしているのですが、わたし的には、この岩崎さんの顔がTJAR史上ベストです。


で、そう感じたのは私だけではなかったようです。


ここに私が大好きな一枚がありまして、残念ながら写真集には使えなかったのですが、ぜひ見てもらいたいので掲載しておきます。




ゴールに向かって砂浜にデカデカと書かれた「イワサキ」ロード。みんなが岩崎さんのゴールを心待ちにしていて、その瞬間がついにやってきた。もし私が岩崎さんだったら、これを見たら泣いちゃうと思います。


この年の大会は、望月将悟さんが大記録で優勝したのですが、少なくとも私にとっては、その優勝シーンよりも感動したゴールがこれでした。そしてそれは、私だけではなかったはずだと思うのです。






……と、選手の話を書き始めたらやっぱり長くなってしまいました。ともすればきれいごとに聞こえるわずか3行の文章の背後には、こういうストーリーがあったのです。


きっと、私の知らないところで、私の知らないストーリーもたくさんあると思います。写真集のゴールシーンを見ていたら、そんなことを感じました。思いが迫ってくるような見応えある写真の連続。






ということで、『TJAR』写真集、ぜひ見てみてください。高いのでなかなか手を出しにくいですが、ビクトリノックスの原宿神宮前店で、8月27日まで写真集見本の展示をしています。貴重な立ち読み可能な場所です。ほか、パネル写真の展示もしています。







さらに。
ただいま、北~中央~南アルプスのコース上にある山小屋全39軒に、写真集を背負って届けるというプロジェクトも敢行中です。1冊1.7kgあるので、「これ、手持ちで全部届けるのは無理だろ!?」と言っていたのですが、TJAR出走経験者が12人も協力してくれることになりました。これ以上ない強力な飛脚の登場により、今シーズン中に全冊配布を終えられそうです。一部の小屋にはすでに置かれています。ここも貴重な立ち読み可能な場所ですので、登山で寄った際にはぜひ見てみてください。





写真集「TJAR」 | tjar photo book on the BASE

TJAR Photo Book Facebookページ

2017年7月25日火曜日

TJAR Photo Bookできました

ここのところなにかと忙しく、ブログの更新もすっかり間があいてしまいました。この間、前回・前々回に書いた栗城史多さんの記事がプチ炎上状態でたいへんでした。会う人会う人から「読みましたよ」と言われ、ついには「栗城史多」で検索すると、このブログが1ページ目に表示されるという事態に。


じつはこの間、栗城史多さん本人にも会いました。あるメディアが興味をもってくれて、取材をしようとしたのですが、記事化は断られ、「会うだけなら」ということで、本当に会うだけ会って、1時間半ほど話をしてきました。


感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。そして、取材として受けてもらえない以上、これ以上こちらにはできることはないので、この件は自分的には終了というか、一段落という感じです。




で、まるで別件。


この間、すごい本の制作にかかわっておりました。15000円の写真集です。トランスジャパンアルプスレースという、世界一過酷な山岳レースを4人のカメラマンが追ったものです。箱入りハードカバー/布張り金箔押し/オールカラー160ページという、出版社勤務時代にもやったことのない超豪華な製本。私は巻末の文章執筆を担当しました。



2002年に始まったこのレース、当時から興味を持っていて、自分自身、取材をしたり、関係者に会ったりしたことも何度もあります。レースにかかわっている人たちがとにかく純粋で、レース云々もさることながら、その人間的魅力に惹かれました。おっと、ここを書き出すと10000字くらい止まらないので、そのへんの詳しいことはまた別の機会に。


写真集の発売は8月11日(山の日)。
発売に合わせて、出版イベントをやります。収録写真のパネル展示やスライドショー、トークタイムなどもやりますので、興味のある方はぜひお越しください。



日時:8月11日(金・祝・山の日) 10時~16時

会場:ビクトリノックスジャパン株式会社 1Fショールーム
   東京都港区西麻布3-18-5

スケジュール
10:00 オープン
10:30 カメラマンあいさつ&トークショー
12:00 スライドショー
13:30 TJARについてQ&A(岩瀬幹生・飯島浩ほか予定)
15:00 選手・主催者トークショー
16:00 閉会
*10時開場〜15時入場終了/16時閉会


予約や入場料は不要で、好きな時間に来て好きな時間に帰っていただいていい、フリー入場スタイルです。会場では写真集の展示即売のほか、収録写真のパネル展示などもありますので、好きに見ていってください。イベント内容については変更等もありえますので、最新状況は以下でチェックしてみてください。



写真集はただいまこちらで予約受付中。15000円の本を中身も見ないうちから予約する人はかなり稀だと思いますが、こちらもどうぞ見てやってください。



【追記】
タイトルに「できました」と書いてしまいましたが、まだできておりません。ただいま絶賛印刷・製本中であります。校了したというだけで、現物はわれわれもまだ見ていないのです。



2017年6月9日金曜日

栗城史多という不思議2

先日書いた栗城史多さんの記事、このブログを始めて以来最大のアクセスを集めました。ある程度拡散するかなとは思っていたけど、予想以上。ツイッターやフェイスブックでもたくさんシェアされて、その後会ったひと何人からも「読みましたよ」と感想を聞かされました。なんと栗城さん本人からもフェイスブックの友達申請が来て、ひえーと思いつつもOKを押しておきました。


となるとやっぱり気になるので、栗城さんがらみの情報をいろいろ見てみました。これまで栗城さんを特段ウォッチしていたわけではないので、知らなかったこともたくさんありました。そのひとつはルート。栗城さんがねらっているのはエベレスト西稜~ホーンバインクーロワールと思っていたのだけど、これは結果的にそちらに転身しただけで、もともとは北壁ねらいだったようですね。


直接・間接に、いろいろ意見や情報もいただきました。ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。


「栗城ファンにとっては、彼のやっていることが登山として正しいのかどうかはどちらでもよいこと。ただ前向きになれる、ただ希望をもらえる、という理由で支持しているのだ」という意見も聞きました。それもそうなのだろうと思う。



それでも嘘はいけない


「栗城史多はショーである」という見方は、以前からなんとなく感じていました。登山雑誌で栗城さんを正面から扱ってこなかったのは、そういう面もあります。オカダ・カズチカ(何度も出してすみません)をレスリング雑誌で取材しても何を話してもらえばいいのかわからないように、登山雑誌で栗城さんをどう扱ってよいのかわからなかったのです。


その一方で、栗城さんは少なくない数の人に共感・感動を与えていることも感じていました。それはひとつの価値であります。それを最大限に生かすには、登山雑誌ではなく、テレビとかのほうが活躍の場としては合っているんだろうとも思っていました。だから別ジャンルの人物として静観していたというのが、じつのところです(PEAKS編集部時代の元上司が、私が退職後に栗城さんに取材を申し込んでいたことを今回初めて知りました。登山雑誌は取材NGということで断られたそうです)。


ただし、一点だけどうしても気になるところが。数年前から気になっていたのですが、今回のブログの反響をもとにあらためていろいろ調べて、確信を深めました。それは、「栗城さん、嘘はいけないよ」ということ。


「単独といいながらじつは単独じゃない」とか、「真の山頂に行っていない」とかの嘘もあるみたいですが、個人的にはそれは、いいこととは言わないにしろ、まあどちらでもよい。本質がショーなのだとすれば、それは小さな設定ミスといえるレベルの話で、比較的問題が少ないから。どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。


ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。


北壁はかつて、ジャン・トロワイエとエアハルト・ロレタンという、それこそメジャーリーグオールスターチームで4番とエースを張るような怪物クライマーふたりが無酸素で登ったことがあります。それでもふたりです。単独登山ではありません。単独で登るなら、その怪物たちより1.3倍くらい強いクライマーである必要があります。そして、長いエベレスト登山の歴史のなかで、北壁が無酸素で登られたのは、この1回だけです。


西稜ルートに至っては、これまで単独はおろか無酸素で登られたこともありません。ウーリー・ステックという、メジャーリーグで不動の4番を張る現代の怪物が、この春ついに無酸素でトライをしようとしていましたが、非常に残念なことに、直前の高所順応中に不慮の事故で亡くなってしまいました。

【2018.5.8追記】
認識違いがあったので訂正します。西稜は、1984年に、ブルガリアのクリスト・プロダノフが単独無酸素で登っていました(ただし、途中まで同行者がいたうえ、山頂から下降中に行方不明になっているので、単独無酸素登頂成功といっていいかは微妙です)。ほか、単独ではありませんが、1989年に、ニマ・リタとヌルブ・ジャンブーが無酸素で登っています。なお、北壁に関しては、栗城さんがねらっていたルートが無酸素で登られたのは、上記の1回のみですが、別のルートからは、同じく無酸素で過去2回登られています。いずれも単独無酸素で成功した例はありません。




栗城さんがやろうとしているルートは、こういうところなのです。1シーズンに数百人が登るノーマルルートとは、まったく話が違うということをどうか理解してほしい。


栗城さんは世界の登山界的には無名の存在です。本当にこれを無酸素単独で登ったとしたら、世界の登山界が「新しい怪物が現れた」と仰天し、世界中の山岳メディアが取材に殺到し、「登山界のアカデミー賞」といわれる「ピオレドール」の候補ともなるはずです。




そんなわけないだろ。


ということは、だれよりも栗城さん自身がわかっているはず。本気で行けると考えているとしたら、判断能力に深刻な問題があると言わざるを得ない。ノーマルルートが峠のワインディングロードなら、北壁や西稜の無酸素単独は、トラックがビュンビュン通過する高速道路を200kmで逆走するようなもの。ところが、そんな違いは登山をやらない普通の人にはわからない。そこにつけこんでチャレンジを装うのは悪質だと思うのです。



なぜ嘘がいけないのか


難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。


つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。


もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。


栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。


そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。


誤解のないように書いておきますが、私は「登山のショー化」がいけないと思っているわけではありません。観客のいない登山というものの価値や意味を人々に伝えるためには、ショーアップはあっていいと思っています。ただし嘘はいけない。


栗城さんの場合は、「無酸素単独」と言わなければいいのです。北壁とか西稜とかも言わないで、ノーマルルートの「有」酸素単独登頂でもいいじゃないですか。これなら可能性はゼロではないと思います。「無酸素」というほうが一般にアピールすると考えているのかもしれないけど、どうですかね。普通の人が酸素の有無にそんなに興味ありますか。そこはどちらでもよくて、山頂に達するかどうかのほうがよほど関心が高いんじゃないでしょうか。有酸素だろうが登頂のようすをヘッドカメラでライブ中継してくれるなら、それは私だって見てみたいと本気で思いますよ。


そして登ってしまえばショーが終わってしまうわけじゃない。一度山頂に立てば、無酸素への道筋が多少なりとも開けることもあるかもしれないし、あるいは今度は春秋のダブル登頂をねらうとかでもいい。なにより、人々の見方が大きく変わるはず。第二幕、第三幕はいくらでもあるーーというか、むしろ開けると思うんですが。




【後日談】
ちゃんと話を聞いてみたいと思って正式に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。残念。→こちら


【追記】
栗城さん遭難後に書いた総括的な文章はこちら

「賛否両論」の裏側にあったもの




2017年6月2日金曜日

栗城史多という不思議

栗城史多さんがエベレスト登頂を断念したらしい。今回で7回連続の登頂失敗ということになる。


栗城さんのことは、これまで、まあちょっとどうだかなと個人的に思ってはいたものの、本人をよく知らないし、話したこともないし(正確には10年くらい前に一度だけあいさつ程度を交わしたことはある)、判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。


栗城さんはフェイスブックにこう書いています。


本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。 
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。 
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。 
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。 
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。


この状況でどうして「来年に繋げられ」るといえるのか、どうして「Never give up」といえるのか、本当にわからない。タイミングとか体調管理でなんとかなるレベルではまったくないことは、ヒマラヤに登ったことがない私でさえわかります。常識的に考えれば、もうとっくに登り方を変えるか、あるいは目標の山を変えるかするべきなのに、頑ななまでにやり方を変えない。これでは、ただの無謀としか思えないのです。


かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が適正かどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。


それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。


ドラフト候補でもない大学野球の平均的選手が、「おれは絶対にヤンキースで4番を打つ」と言って、毎年入団テストを受け続けていたとしたら、周囲の人はどう思うでしょうか。大学生の年齢なら、これから大化けする可能性もないとはいえないから、バカだなと言いつつ、あたたかい目で見守ることもあるかもしれない。しかし、実力だけが大学レベルで、年齢は35歳。これまですでに7回テストに落ち続けている。となると、たいていの人はこう思うはずなんです。


「この人、どうかしてるんじゃないか?」


私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。それともそれすらもわからないのか。あるいは、わかっていて登頂するつもりはハナからないのか。そこに至る挑戦の過程そのものがやりたいことになっているのか。もうこれが事業になっているからいまさらやめられないということなのか。……すべてわからない。


さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。


「登頂に成功するかどうかは関係ない。彼のチャレンジ精神に感動するのだ」。これならわかる。しかしそれは、目標を実現するための努力を重ねている日々の姿に感動するというものではないでしょうか。私だって、栗城さんが年間250日山に入って冬の穂高から剱岳までバリバリ登り、エベレストのほかに毎年1、2回はヒマラヤやアラスカ、アンデスなどの山で高所の経験を積み、世界のクライマーと交流してルートの研究を日々行なっていれば、無謀なやつだと思いつつ応援したくもなる(それだけやってもエベレスト西稜ソロには届かないはずですが、気概は感じる)。


こう書くと、「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。野球ならすぐわかる理屈が、なぜ登山だとわからないのか。野球だって登山だって、そういうどうしても必要なことって確実にあると思うんですよ。常識を破っていくのはその先にある。


そのようすがまったく見えず、毎年、その時期が来るとトライにだけ出かけている姿は、やっぱりどうしても理解できないのです。不思議で不思議でしょうがない。栗城さんの真の目的はなんなのか。真相を知りたい。本当に、一度その心の底の底を聞いてみたいと思います。





【補足】

書き終わったところで、山岳ガイドの近藤謙司さんがこうツイートしているのを知りました。まさにこれです。




【補足2】

後日、もう少し詳しく書いてみました。

栗城史多という不思議2



2017年5月29日月曜日

”伝説のクライマー” 池田功トークショー


とにかく素晴らしいトークショーでした。これだけ面白いトークショーは、近年見た覚えがありません。2時間くらいやっていて、ほぼ立って見ていましたが、2時間があっという間でした。


終盤で、録画か録音しておくべきだった! と大後悔。この素晴らしいトークショーを、この日、ここに集まった人しか体験できないのは、クライミング界にとって損失です。と思うくらい素晴らしかったです。


感動を書きなぐってしまいましたが、5月27日に小川山で行なわれた池田功トークショーのことです。枻出版社主催のイベント「クライムオン」のプログラムのひとつでした。私なんか、これ見たさに行ったようなものですが、想像以上に内容満載で、大満足。ここで話された内容を多くの人が知ることができないのは、重ね重ね残念。




忘れないうちに、覚えていることだけ列挙します。


「たとえば砂漠に岩塔が立っていたとしたら、その頂上に行くには下から登っていくしかないですよね。グラウンドアップというのは、そういうことなんですよ」

ーーグラウンドアップというスタイルがなぜ大切なのか。そのことをこれほど鋭くわかりやすく表現した言葉は今まで聞いたことがありませんでした。


「フリークライミングというのは、世間にはもちろん、登山界にさえ認められていなかった。そんな時代に、ぼくらの存在を認めてもらうには、いちばん有名な壁でインパクトのあることをやる必要があったんです」

ーー谷川岳衝立岩フリークライミングについて。池田さんは、衝立岩に思い入れがあったというより、「フリークライミングにはこれだけのことができるんだ!」と世間にアピールするために衝立岩を選んだそうです。


「御岳にボルダリングエリアを開拓したのは、東京から近いところでクライミングできるフィールドが欲しかったからなんです。近いところにあったらみんな便利じゃないですか」

ーー御岳開拓の動機は、クライマーたちが通いやすい岩場を提供するためだったというのです。自身のパフォーマンスの表現ではなく、ほとんど公共事業に近い感覚で、開拓をしたそうです。


「御岳の『デッドエンド』命名の由来? あそこは最後が核心なんですよ。『出口が悪い』。だからデッドエンドなんです」

ーーこれは知らなかった! すでに既知のことかもしれませんが、私は初めて知りました。


「登れなくなった課題」

ーーこれは、会場にいた中根穂高さんの飛び入り発言ですが、御岳の「クライマー返し」のホールドが欠けて登れなくなったとき(ナックルジャムの部分)、池田さんは雑誌に「ホールドが欠けて登れなくなるほど、クライミングは底の浅いものではない」という趣旨のことを書いていたそうです。実際、後年、その状態で登られたわけで、ホールドを貼り付けたり安易なことをしなかった池田さんがどれだけ先見の明があったかということを、中根さんは熱弁していました(中根さんの話がまた異様に詳しく、「中根くんはおれよりおれのことを知ってるなあ」と池田さん笑ってました)。




ああもう、ほかにも、「池田ステップ」の正しいやり方とか、なぜ池田さんはクライミングをやめてしまったのかとか、伝えたいことが山ほど。録画しなかったのが本当に大後悔。最後には、なんと「デッドエンド」の初登動画まで上映されました。8mmフィルムで撮影されたもので、池田さんが死蔵していたそうです。80年代前半当時のクライミングで動画が残っているものなんて、これくらいしかないんじゃないでしょうか!? 池田さんの許可が出れば、YouTubeにアップして、多くの人に見てもらいたい!





池田さん、ほんと物持ちのいい人で、当時使っていたギアのほとんどをまだ持っていたそうで、どっさり持ってきてくれました。衝立岩フリー化で使ったロープとか、スーパーイムジンのボルトを打ったジャンピングとか、本気で大町山岳博物館に所蔵すべきと思われるお宝がゴロゴロ。一度ちゃんとお借りしてきちんと撮影しておきたいです。


ラスト20分では、平山ユージ大先生と中嶋徹くんも加わって超豪華な座談に。「平山くん、おれになついてくれなかったじゃない」と笑いながらも(平山さんもあわてて言い訳してました笑)、「平山くんはぼくの100倍くらいクライミングの世界を広げてくれた」とうれしそうでした。


一応、トークショーの記録動画も一部あります(枻出版社の人間がスマホで録画してたけど、途中でバッテリー切れ! どこまで録画されてるかは未確認)。司会を務めたライターの寺倉力さんが音は全収録していたそうなので、許されればどこかの機会で全文掲載したい。それくらい内容のあるトークショーでした。


ちなみに池田さんの許可は取得済み。「えっ!? 酒入ってたし、文字になったらまずいなあ」と笑ってたので、まずいところは黒塗りで掲載するということになってます(笑)。




【補足】

肝心の池田さんの写真撮ってなかったので、井上大助さんのフェイスブックからお借りします。池田さん、面構えも体格もどう見ても格闘家で、歌舞伎町でヤー様が道を開けそうな風貌ですが、話すと拍子抜けするくらい気さくでした。





ギアについては、中根穂高さんがマニアックに解説してくれています。ギアのことならなんでも知っている中根さんでさえ見たことがなかったギアもあり(ソ連のクライミングシューズとか)、中根さん興奮していました。




2017年5月23日火曜日

スポルティバvsアゾロvsスカルパ履き比べ

登山ライターをしていると、「これ使ってみてください」と、メーカーから製品を提供されることがときおりあります。会社員編集者時代はこういうことあまりなかったのですが、フリーになってから明らかに増えました。


ライターというのは中立であるべき存在なので、提供を受けるときにはいつも躊躇があります。提供にあたってなにか条件があることはほとんどなく、せいぜい使用感のレポートを提出するくらいなのですが、もらってしまうとそこに人情が発生してしまうのが人間というもので、わずかながらも中立性が崩れるおそれがあるからです。


その一方で、さまざまな登山道具を使った経験というのは、アウトプットのクオリティに直結するもの。2種類の靴しか履いたことがない人と、10種類を履いた経験がある人では、靴について書ける文章の深みは明らかに異なってきます。だから、中立性をいくらか失っても経験を増やすことのほうが大事だ――と心の中で折り合いをつけて提供を受けている私であります。


とはいえ後ろめたさは正直あるので、提供によって得られた成果をここで還元することによって、その心のやましさを少しでも解消したいと思います。




ライトアルパインブーツ3種履き比べ

左からトランゴ、エルブルース、レベル


昨年、以下ふたつのブーツの提供を受けました。




どちらもセミワンタッチアイゼン対応で、雪渓や岩稜系に強い、「ライトアルパインブーツ」なんて(私に)呼ばれているカテゴリーの靴です。私が以前から愛用している「スポルティバ/トランゴS EVO GORE-TEX」の競合といえるモデルです。


昨夏から今年にかけて、山でこの3つを履き比べてみました。用途がかぶる3つの靴を同時に所有している登山者は滅多にいないはずなので、このレポートは価値があるはず。これも提供を受けなければ実現できなかったことですと言い訳をしておきます。




まずはスペック比較

トランゴ
45,360円(税込み)
重量=カタログ値700g(42)/実測値723g(42)

レベル
46,440円(税込み)
重量=カタログ値660g(42)/実測値682g(42)

エルブルース
48,600円(税込み)
重量=カタログ値800g(UK8)/実測値787g(UK8)


定価は大差なし。店頭での実売もほとんど値引きはされていないようなので、同価格帯の靴といっていいでしょう。



重さは少し差があって、エルブルースがいちばん重く、レベルがいちばん軽い。持ってみた感じや履いた体感も数字どおりに感じます。




足型

汚くてすみません


これが私の足。他の人と比較したことがないのでよくわかりませんが、幅広みたいです。足に合いやすいメーカーはスポルティバ、サロモンなど。逆に合わないのはザンバラン、ノースフェイス(細すぎる)、そしてモンベル、シリオ(幅広すぎる)など。足の実寸は約25cm、ふだんの靴のサイズは26.0cm。登山靴はだいたいEU42(26.5〜27.0cm相当)を履いてます。


さて、3つの靴の足型はこんな感じです(違いがわかりやすいようにデフォルメしています)。




トランゴは外観は細身に見えますが、ワイズ(拇指球まわりの幅)はじつはけっこう広く、私の足でもぴったりおさまります。逆に土踏まずから踵にかけてはキュッと締まっています。先端も絞られているため、キュッボンキュッというグラマラスな足型。踵がタイトでホールド性がよいのもお気に入りのポイントで、このために足との一体感がとても高く、体感重量も軽く感じます。これはスポルティバのほかのモデルでも共通している足型で、さすがクライミングシューズのトップメーカーだと感じられるところ。


次にエルブルース。方向性としてはトランゴに似ているけれど、そのグラマー加減をややマイルドにした感じ。ワイズはトランゴより気持ち狭いような気がするけれど、自分的には悪くないです。アゾロの靴はもう1足持っているけれど、それも同じような足型でした。スポルティバの足型はぴったりしすぎてやや窮屈に感じる人もいると思うので、こちらのほうが万人向けといえるかもしれません。


最後にレベル。これがいちばんストレート。悪く言えば「ずんどう」な足型。ワイズはトランゴ並みで、つま先はそれより余裕があります。そして土踏まずから踵にかけても幅には余裕があります。私の場合は、土踏まずまわりが少し余ってしまい、靴ひもで思い切り締め上げても完璧にフィットはしませんでした。甲まわりにもう少しボリュームのある人のほうが合いそうです。スカルパの雪山用登山靴「モンブラン」も似たような足型だったので、これがスカルパラストなのでしょう。


サイズは3つともEU42。どれも私にはほぼベストサイズだと思いますが、わずかな違いはあります。スカルパ>アゾロ>スポルティバという具合で、スカルパがいちばんサイズが大きく感じます。まあ、わずかな差なので気にするほどのことはありませんが、ずーっとスカルパを履いてきてこれからスポルティバに変えようという人は、念のため1サイズ上(私でいえば43)も試してみるといいかもしれません。




足首のフィット感

私はくるぶしまわりの形が普通じゃないのか、ここが擦れたり痛くなったりすることが多く、足首を動かしたときに変に当たったりしないかというのは必ずチェックするポイントなのです。


そしてこれはレベルの圧勝でした。すき間なくフィットし、しかし自在に動くこの柔軟性は、あまりに気持ちよくてクセになりそう。ストレスは完全にゼロです。というか、これより足首がフィットするハイカットブーツはこれまで履いたことがないかも。トランゴもかなりいい線いっているのですが、レベルには負けます。トランゴの発売は2005年。対してレベルは2014年。9年の間の技術の進歩というものでしょうか。

アッパーとタン(ベロ)が一体化したような独特の構造。
「ソックフィット」とスカルパでは呼んでいて、まさにソックスを履いているような感覚。


逆にエルブルースは期待外れ。3足のなかでいちばん新しい靴なのに足首にはとくに工夫が見られず、作りも履いた感じも、新しさのない鈍重なもの。フィットもよくなく、最初は痛みも出ました(タンの位置を調整したりしてごまかしているうちになじんできたのか、痛みは半日で消えました)。革新性を売りにしていたアゾロだけにここはもう少しがんばってほしかったところ。ただ、レベルとトランゴの足首が素晴らしいので辛口になりましたが、一般的な水準からいえばこれが普通です。

左からトランゴ、レベル、エルブルース。
こうして見ただけでは違いはわからないですね。




歩行感

へんな言い方になりますが、この3つのなかではエルブルースがいちばん「まともな靴」に感じました。トランゴとレベルは良くも悪くもクセがあります。


まず、エルブルースは硬い。全体に硬めの靴です。しかしソールが硬いだけでなくアッパーも硬めなので、バランスがとれています。この結果、歩行感が自然なのです。ソールが硬くて後ろに蹴り出す歩き方はしづらいので、一歩一歩踏みしめるようないわゆる「登山靴歩き」に自然となります。歩き方が自然なせいか、靴が硬いわりには、フラットな道歩きも苦になりませんでした。ソールの形状もフラットすぎず、歩行向きにチューニングされています。正統派の登山靴という印象です。


それに対してトランゴは、ソールはエルブルース並みに硬いけれど、アッパーはかなりやわらかく、いびつなバランスの靴になっています。なまじ軽くてアッパーがやわらかいため、つい「蹴り出し歩き」をしてしまうのですが、そうするとソールの硬さがじゃまをします。結果、どうもギクシャクした歩きになってしまい、そのせいだと思うのですが、フラット路面を長く歩くといつも足の裏が痛くなります。変な力が入ってしまっている証拠だと思います。しかしトランゴのこの変なバランスは意図的なものなのです。それについては後述。


あ、ちなみに、ここで「ソールが硬い」と言っているのは、アウトソールのゴム質のことではなくて、シャンクを含めた靴底の柔軟性のことです。靴の先端と踵部分を持って思いっきり曲げてみたときにどれだけ曲がるか、みたいなこと。そして、硬いとかやわらかいとか言ってますが、普通のトレッキングブーツと比べれば、この3つどれも硬いです。「硬い」「やわらかい」は3つのなかで比較した表現なのでご注意を。


さて、話を戻して、レベルはどうかというと、この手の靴にしてはソールもアッパーもやわらかく、これは意外でした。見た目的にもスペック的にも、トランゴと同じような履き心地を想像していたのですが、それよりずっとやわらかいです。雪渓の上を歩いたことはまだないのですが、急傾斜の雪渓でどうなのかな?と疑うくらい。ただしこのやわらかさのためフラット路面の歩行感はとてもよく、林道歩きも問題ありませんでした。上高地から横尾までトランゴで歩くのは勘弁願いたいですが、レベルならいけそうです。


足裏感覚(路面の凹凸などを感知できる性能)が高いのもレベルの特徴で、ふくらんだ岩や木の根を踏んだときに瞬間的に微妙なコントロールが可能です。ソールがわずかにしなって粘る感覚もあり、エルブルースやトランゴに比べて、濡れた岩や木を踏んでも突然滑ることが少ないような気がします。ただし3つのなかでサポート性はいちばん低く、ローカットシューズのような感覚すらあります。荷物が重いと厳しいかもしれません。




急傾斜地の登攀性能

ここがこの手の靴の真骨頂というべきポイント。急傾斜地での安定性を最優先に開発し、フラットな路面での歩行性能はある程度捨てているわけなので、ここがこの種の靴の価値を決めるポイントなわけです。


トランゴを初めて履いたときのことをよく覚えています。槍ヶ岳の北鎌尾根を登りにいったときなのですが、上高地から水俣乗越を越えてアプローチ。ここまではフラットでよく整備された道が中心で、足が疲れ、「うわ、この靴、失敗したかな」と思っていたんですが、北鎌沢から北鎌尾根に取り付くと印象は一変。急傾斜地や岩場での安定性は抜群で、途中の岩でボルダリングして遊んだくらいです。


ここで生きてくるのが、靴底の硬さと軽さ。急傾斜地の登りでは、靴底全体で接地できないようなシチュエーションが増え、足裏前半分だけとか、ときにはつま先だけで小さな足場に立ち込んでいくケースが増えるわけです。このとき、やわらかい靴だとぐにゃっとなってしまって不安定なんですよね。

こういう感じ。右は普通のトレッキングブーツ。
踏み込むと靴が曲がってしまって、小さい足場に立ちにくいのだ。



さてそこで、3足の靴底の硬さを比べてみました。



踵の部分を持って、思いっきり体重をかけています。それでもエルブルースはほとんど曲がりません。トランゴは少し曲がる。レベルはもうちょっと曲がる。右下の一般的なトレッキングブーツは、めちゃめちゃ曲がります。この3足と比べると、ぐにゃぐにゃというくらいです(これでも日常用の靴よりはだいぶ硬めなんですけどね)。この硬さは、雪渓を歩くときにも重要で、硬い靴ほど安定します。


ただし、硬ければ硬いほど登りやすいかというと、話はそう単純でもなく、体感としてはトランゴがいちばん急傾斜に強いです。エルブルースはがっしりした作りをしているぶん重いので、トランゴとレベルに比べると足上げの軽快性に劣るのです。急傾斜地ではこの「軽さ」はけっこう重要であります。トランゴがソールを固める一方、アッパーは軽くやわらかく仕上げているのはこのためなのでしょう。


レベルは、急傾斜地ではやや硬さが足りないように感じたんですが、やわらかいぶん、ほかのふたつより柔軟な足使いが可能です。たとえば、岩稜を歩いていて、斜めになっている場所に足をおかないといけないようなケースってよくありますよね。

こういうやつ

レベルはこれが抜群にやりやすいのです。こういう「ごまかし」の足使いができるのが、レベルの大きな魅力です。単純な急傾斜はトランゴやエルブルースより劣りますが、あらゆる地形に対応しやすいという点では、レベルのほうが岩場での実用性は高いかもしれません。なんかクライミングシューズみたいな靴です。




グリップ性

感覚的にはレベル>トランゴ=エルブルースの順。とはいえどれも大差はないです。ラバーの質の違いはとくに感じず、パターンの違いによる性能差も感じません。レベルが靴全体がやわらかいぶんやや粘ってくれる感覚があるのと、足裏感覚がいいため、突然スパーンと滑ることが少ない感じがするくらいです。


ただしここはちょっと様子見。トランゴはソールが削れてくるとグリップ性が急激に落ち、末期は危険を感じたほどだったのです。とくに木の根が露出した路面や泥の路面に弱く、雨の日に甲斐駒ヶ岳の七丈ノ滝尾根というヤブ混じりの急な道を下ったときは非常に神経を使い、かなりヤバい思いをしました。レベルとエルブルースはこれほどではないんじゃないかとは思いますが、似たような傾向にはあると思います。

左からトランゴ、レベル、エルブルース。
トランゴのソールは一度張り替えてます。



耐久性

ここについては、トランゴ以外はまだわからないのですが、おそらく、というか、ほぼ間違いなく、いちばん長持ちするのはエルブルースでしょう。なにしろこれだけがオールレザー。ソールも形状的に偏摩耗しにくそうです。


一方で、はっきりいって、トランゴの耐久性は高くありません。アッパーはとくに問題ないのですが、ソールがすぐ減ってしまうのです。軽量化とクライミング性能向上のためにパターンの浅いアウトソールを使っているため、少し減ると、前述したように急激に性能が落ちます。靴底が硬いわりにフラットな形状なので、偏摩耗しやすいのも難点です。

こうなるともう全然ダメ。驚くほど滑ります。


レベルもおそらくトランゴと同程度の耐久性でしょう。アウトソールのブロックパターンがいちばん浅いので、ソールがダメになるのも早いように思われます。


トランゴやレベルは、ある程度耐久性や汎用性を犠牲にしてもトンガッた性能を求めて作られた靴なのだと思います。「良くも悪くもクセがある」というのはそういう意味です。その点、エルブルースはエッジーな部分を抑えぎみにしてあるので、より万人向け、よりオールラウンド向けになっていると感じました。


【関連記事】
スポルティバ・トランゴS EVOのソール張り替え



用途

大きくまとめると、3つの靴の使い分けは以下のようになろうかと思います。


岩が多いルート……レベル
雪が多いルート……トランゴ
土が多いルート……エルブルース


たとえば南アルプスに行くならばエルブルースを履くでしょう。剱や穂高ならレベルかな。履いてみて初めてわかったんですが、レベルはノーマルな土の路面もそこそこいけます。以前、丹沢でレベルを履いている人を見かけて「素人はわかってないな」なんて心の中で思ったことがあるのですが、すみませんでした。


トランゴは……じつはこの靴は一般登山道ではあまりフィットするところがないのです。私は残雪期やバリエーションルート専用機として使っています。ショップやスポルティバジャパンでは「縦走をはじめとしてオールラウンドに使える靴」として売り出していますが、日本の山ではそれは当てはまらないんじゃないかと前々から思っています。普通の登山道で履いて快適な靴では決してないし、本国スポルティバの開発意図もそこにはないはずだと思うのですが……。



夏の剱岳をベースに、3つのブーツが合うコースを考えてみました。


別山尾根(剱岳ノーマルルート)
雪はなく、厳しい岩場が続く。アプローチの室堂~剱沢はマイルドな登山道。レベルで決まりでしょう。

早月尾根
ここは登ったことがないのでわからない。体力ルートなので、重荷に強く、安定感の高いエルブルースが合っているのかもしれない。下りも安心だし。

源次郎尾根・八ツ峰
難しい岩稜主体のバリエーションルート。ここはレベルの軽さとコントロール性の高さが有利かと思います。

平蔵谷・長次郎谷
いずれも急傾斜の長い雪渓を登っていって、山頂からはノーマルルートを下る。これはトランゴがいいと思います。雪渓登りの安定性と、その後の急傾斜の登山道下りのバランスにいちばん優れているんじゃないかと。

北方稜線
岩場、ガレ場、草地、雪渓など路面コンディションは盛りだくさん。迷うところだけどトランゴかな……。

剱沢~仙人~欅平
ここはエルブルースがよさそうだ。剱沢の雪渓下りも安心。その後の長い登山道歩きや水平歩道も問題なし。テント縦走などで荷物が重いときならなおのことエルブルース。




まとめ

3足履き比べて、どれがいちばん気に入ったかというと……、やっぱり愛用機のトランゴでした。なんといっても、足型が自分にバッチリ合うこと。履いていて気持ちがいいし、微妙な足場でも不安を感じにくいのは、機能差というよりも足にフィットしているからこそだと思います。クセの強いじゃじゃ馬ではありますが、こういうピンポイントな道具というのが私は好きなのです。


レベルもかなり攻めた靴で好みではあるのですが、足型の不一致が難点。ここさえ合えば、勝負靴をトランゴからこちらに乗り換えてもいいかも。雪渓上での安定性はたぶんトランゴに劣りますが、岩場での軽快性はこちらのほうが上。微妙な脚さばきを可能にするコントロール性の高さがあり、フラット路面がトランゴより歩きやすいのもいいところです。


エルブルースは個人的な好みとしてはクセが足りない。私みたいに靴を何足も持っていて、行く山によってあれこれ履き分けている人にとっては、中途半端に感じてしまうのです。ただしそれは裏を返せば、もっともオールラウンドに使える靴ということであり、他人にはいちばんおすすめできる靴ということでもあります。




ところで、トランゴは今シーズン、ついに直系の後継モデルが出ました。その名もトランゴタワーGTX。雑誌の撮影で借りたときに一度足を入れてみたことがあるだけで、詳しいことはわからないのですが、S EVOと大きな違いは感じませんでした。素材やソールは変わりましたが、基本構造に大きな変更はないようです。S EVOの完成度が高くて、改良する箇所があまりなかったんじゃないか……という気がしますが、どうなんでしょうか?




【6月3日追記】

なんとなく違和感があったのですが、いま気づきました。エルブルースの本当の競合は、スカルパでいえばシャルモ プロ GTXでしたね。スポルティバにはズバリの競合がない感じ。強いていえば、トランゴ アルプ エボ GTXですが、これはトランゴS EVOとエルブルースの中間的な性格の靴。

トランゴやレベルにズバリ競合するアゾロの靴は、本国にありました。

Climbing boot FRENEY XT GV black/silver

640gとレベルより軽量。なかなかよさそうに見えるんですが、日本国内では展開がないのです。こうして見ると、アゾロって日本には厳選されたごく一部のモデルしか入ってきていないんですね。もったいない。


2017年5月15日月曜日

『本の雑誌』はいい匂い





『本の雑誌』という雑誌に、座談会が掲載されました。


この雑誌、椎名誠さんらが創刊した雑誌で、私の妻が愛読していました。その関係上、自宅にもそこらにバックナンバーが転がっているため、なじみはあったのですが、掲載されたのは初めて。本人よりも妻がテンション上がったようで、ライターとしての家庭内評価は確実に上がったようです。


届いた掲載誌の封を開けると、紙とインクの匂いがふわーっと香りました。昔よく嗅いだ記憶のある、懐かしい本の匂い。なぜか最近の本では嗅いだ覚えがありません。紙とインクを昔ながらのものを使っているのでしょうか。これがなんともいえないいい匂いで、鼻をくっつけてくんくん嗅いで恍惚としていました。新聞とか本の匂い嗅いでこういうことしていた人多いんじゃないでしょうか。私なんぞはそのうち、たまらなくなって新聞紙食べてしまったことさえあります(少年時代)。こういうインクにはシンナーとか中毒性のある成分が入っているんでしょうか?


匂いのことを妻に言ったら、「本の雑誌はそうなんだよ!」と言っていたので、たまたまではないのでしょう。まさか、使うインクや紙を匂いで選んでいるとか!? 座談会の原稿のまとめも的確なもので、さすが本をテーマにした雑誌だなーと思ったのでした。



2017年5月2日火曜日

ウーリー・ステック、エベレストで遭難死




一昨日から私のフェイスブックやツイッターのタイムラインが、ウーリー・ステック遭難死のニュースやコメントで埋め尽くされています。「著名登山家エベレストで死亡」と、テレビのニュースでもやっていました。これは異例なことです。登山家としてのステックの存在の巨大さを表していると感じます。


ここ10年ほどの世界の登山界で、ステックが突出した存在であったことは間違いないでしょう。彼は、アイガー北壁を2時間ちょっとで登ったり、エルキャピタンの「ゴールデンゲート」をほぼオンサイトする技術の持ち主でありながら、高所でも抜群の強さを見せていました。近ごろ、強いアルパインクライマーは6000~7000m級のテクニカルな山を指向することが多いのに対して、ステックは常に8000m峰をねらっていました。K2西壁とかマカルー西壁とかの夢の課題をやれるとしたら、ステックが間違いなく第一候補だったわけです。


この春、ステックがエベレストとローツェの継続をやるという話はなんとなく知っていました。しかし、エベレストとローツェの継続登山というのはすでに何人もやっていることなので、あまり興味を持っていませんでした。ろくに調べもせず、「ステックは今年は休養の年なのかな?」なんてうっすら思っていただけだったのです。


しかし今回あらためて知ったのですが、ステックは、エベレスト西稜から入って、エベレスト~ローツェのラウンド縦走をしようとしていたのでした。彼のオフィシャルサイトに予定コースの写真が載っています。




休養の年だなんて思っていて申し訳なかった。これは猛烈に難しい縦走で、何十年も前から、だれもが思いつくけどだれもできなかった課題なのです。「世界最難の縦走」と言っていいと思います。これをやれるとしたら、やはりステックしかいないでしょう。


5年前、栗城史多さんがエベレストにトライしたとき、こんなツイートをしたことがあります。


エベレスト西稜を無酸素ソロで登ることがどれほど不可能に近いことかは、ヒマラヤ登山をやっている人ならだれだってわかるはずなのです。そこをルートに選んでいるということは、山頂まで行く気はないのだなと判断するしかありませんでした。


ただ、このとき、数人だけ、このルートをやれるかもしれない人が頭に浮かびました。その筆頭がステックでした。


今回、ステックは、その西稜を登って、さらに、ローツェまで縦走するという、夢の課題にトライしようとしていたのです。彼ならやれたかもしれないし、この縦走を完成させたら、ステックの輝かしい登攀歴の終盤を飾る金字塔になったはず。


ステックもすでに40歳。この登山を自身の集大成のつもりで臨んでいたのかもしれない。それを考えるととても残念です。ご冥福をお祈りします。





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2017年4月6日木曜日

登山届を出したからといって遭難を防げるわけではない

西穂高岳で、登山届を出さずに登って遭難した人が、5万円の罰金を科されたそうです。


岐阜県では条例で登山届の義務化を定めているので、これはしかたない。条例を破ったのだから、その責めは負わなければならないでしょう。


ただし、近ごろ、山の事故が起こるとすぐに「登山届を提出していなかった」と批判的に報道されることには強い違和感を覚えます。問題の本質はそこなのかよと。


思うに、新聞やテレビなどの報道陣は、事故の本質がわからないから、警察の「登山届は出ていなかった」という発表に過剰反応して、

登山届未提出→だから事故が起こった

と、わかりやすいストーリーを作り上げてしまうのだと思われます。しかしこれ、間違ってます。


ほとんどの場合、登山届を出していなかったということが遭難事故の原因となることはありえません。事故の原因は別にあって、技術や体力の不足とか判断ミスとか天候の急変などがそれにあたります。


これにも書きましたけど、登山届の目的とは、遭難したときに救助をスムーズにするためであって、届を出したからといって、遭難を防ぐことができるようになるものではないのです。


先日の那須の高校生雪崩事故のときも、「登山届提出せず」という見出しの記事をいくつも見ました。それをひとつの事実として報道するのはいいけれど、追及すべきもっと大きな問題がある。那須の事故の場合は、(おそらくは)現場の判断ミスであり、引率する立場の人がふさわしい技術・経験を持っている人であったかどうかであり、もしかしたら、組織の構造的な問題もあるのかもしれない。核心を放置しておいて、「登山届出してなかった!」と枝葉を騒いでも物事は解決しない。


もちろん、登山届は出すにこしたことはありません。こういう報道が「登山届出さなきゃな」という意識を高めることに貢献することは認めます。


ただし、繰り返しますが、

登山届を出したからといって遭難を防げるわけではない。


新聞やテレビには、「登山届を出していなかったことが遭難の原因」という予断をもって報道することはぜひあらためていただきたい。登山者に誤解を与えるという意味と、真の原因を見えにくくするという意味のふたつの点で、それは害悪ですらあります。


2017年3月29日水曜日

高校山岳部冬山禁止はしかたがないのかな






那須の高校生雪崩事故について、知り合いのライターやガイドがツイートしていました。


「なぜあんな日に訓練を続けたのかを議論すべき」「いかに行なうかが問題」「見直すのは違うところ」。それはそのとおり。私自身も、引率役の人に雪崩についての判断の甘さがあったのだろうと想像しています。そこは追究が必要なところです。

*ここで「追究」という言葉を使いました。あえて「追及」は使いませんでした。




こういう面は多少なりとも意識にはあったと思います。「スキー場だから安全」と。まあ、当日はスキー場は営業を終了していて、すでにスキー場ではなくただの山の中だったわけですが、こういう施設にいると、安全管理のタガがついゆるみがちになるのは、自分の経験からも容易に想像できるところです。




引率役の人はそれなりに登山経験のあった人のようなので、雪崩についての知識がゼロだったとか、まったく無防備に突っ込んだとかいうわけではないでしょう。リスクについて、少々甘く見ていたというのが実のところなのではないでしょうか。


ただ、こういう判断ってそれなりに高度なもので、生徒の命に責任を持つ立場となればなおさら難しいものです。それを一教員に求めるのは酷――というか、非現実的な気がします。山岳ガイドに依頼すれば、リスクの問題はほぼクリアできると思いますが、公立高校の部活動でそこまでできるものなのでしょうか。


そういうことをもろもろ考えて、「安全管理に自信を持てない」と結論づけたから「冬山禁止」としたのではないかな。報道を見ているだけだと、事故→禁止と、短絡的に結論づけているようにも思えるし、なんでもかんでも禁止にしておけば無難であるという考え方はかなりきらいではあるんだけれど、これに関してはしかたがないような気がしています。

2017年2月28日火曜日

PEAKS創刊前夜の話

私の古巣のひとつとなる雑誌『PEAKS』が創刊したのは2009年5月。最初の1年は隔月刊で、2010年5月の号から月刊化して今に至ります。私は創刊当初からのメンバーで、2013年3月号まで副編集長として務めました。今もフリーランスの立場で記事作りにかかわっているので、もう8年近くやっていることになります。


先日の『PEAKS』のインタビュー取材のときに、寺倉さんから創刊のころのことを聞かれ、久しぶりに当時を思い出しました。パソコンをあさってみたら、最初に書いた企画書が出てきたので、昔話とともに紹介してみようと思います。




「登山雑誌、定期刊でやることになったから」


と、編集長の朝比奈耕太さんから電話を受けたときのことはよく覚えています。2009年4月初旬、松本のロイヤルホストの駐車場でした。そのとき私は松本在住の山岳カメラマンに写真借り&打ち合わせに来ていて、それが終わってさあ帰ろうというときでした。


当時、私は枻出版社に入ってちょうど一年。会社にも慣れてきて、自分の専門である登山のムックを夏前に出そうと動いていたときでした。山岳カメラマン氏には、それ用の写真の相談に来ていたのです。


「定期刊でやることになったから」というのは、ムックではなく定期雑誌として刊行すべしという決定が経営会議でなされたという報告でした。


「発売は5月21日ということで」


朝比奈さんはそう続けます。冗談言わないでください。あと1カ月半しかないじゃないですか。いや、発売10日前には校了していないといけないから、制作期間は1カ月。定期誌を1カ月で立ち上げられるわけないでしょ。普通は1年、短くても半年はかけますよ。


もちろん私はそう答えたのですが、「もう決まったので」と、取り付くシマがありません。いや、絶対無理だって。朝比奈さんだってわかってるでしょう。それでもやるって言うなら、おれはおりますよ。私はかなりエキサイトして電話口にそう吐き捨てました。


「とりあえず、なにができるか明日会議しましょう」


朝比奈さんがそう言って電話は終わりました。


枻出版社というのは、こういう急な決定や方向転換が多い会社で、この一年間、それに振り回されたことも少なくなかった私は、「もうやってらんねえ」と頭に血が上って、荒っぽく車のドアを閉めました。車を走らせ始めても、ムカつきがおさまらず、明日なんて言ってやろうか、辞表をたたきつけて帰ろうか、そんなことばかり考えていました。


中央高速を諏訪あたりまで来ると、ムカつきも一段落して、だんだん落ち着いてきました。……定期雑誌か。いくらなんでもできるわけないよな。定期誌といったらタイトルが必要だよな。そこからして白紙だもんな。どうすんだよ……。


そのうち車は小淵沢か韮崎あたりまで来ました。……やるとしたら、今進めてるムックをベースにするしかないよな。とはいえデザインはどうしたらいいのかな。ムックと定期誌じゃデザインの考え方も全然ちがうよな。デザイナーはピークスのだれになるのかな。

*ピークスというのは枻出版社の子会社のデザイン会社で、枻出版社の刊行物のデザインはここが手がけることになっています。



……そういえばピークスって、綴りなんだっけ。P・E・A・C・Sか。そうそう、PEAKじゃなくてPEACなんだよな。確か4つの会社のイニシャルの集合っていってたな。……PEACSがデザインする雑誌だからPEAKS! ダジャレか。くだらねえ~。


……けど、悪くないかもな……。P・E・A・K・S。ピークスか。山の頂上ってピークだもんな。


……あれ? これ、いいんじゃね? PEAKSって雑誌、ほかに……ないよな。えーと……うん、聞いたことないな……。え? こんな直球でいいの? 


……いや、これだよ。これでいいよ。これでいいじゃん!


たぶん、この段階で双葉か甲府昭和あたりを走っていました。


枻出版社に入る前から、私はずっと、新しい登山雑誌を作るならなんてタイトルがいいか考え続けていました。でも、ピンとくるタイトルを思いついたことはありませんでした。考えつくのは、『Mountain Life』とか『Mt.Trip』とかヘボいものばかり。


私が登山雑誌のタイトルに必要だと考えていた要素は3つありました。

1)ひと目で山の本だとイメージできること
2)短いこと
3)カタカナであること


1)は説明不要かと思います。ひねった内容で攻めたいならともかく、ボリュームゾーンに訴えたいならこれは必須かと思うのです。


2)は、会話のなかでひとことで言えることを重視していました。たとえば「マウンテンライフ」だと長すぎて、ひんぱんに口にするには面倒です。すると、人はなんらかの略称で呼ぼうとする。そのときに「なんて略すればいいかな」と考えさせるのがいやでした。それはわずかな引っかかりですが、口にする人にストレスであることは間違いありません。そのストレスはわずかなれど、でも、そのわずかなストレスを億劫がってタイトルを気軽に口にできなくなるのです。一方で、略さないでフルネームで呼ぶ人もいるでしょう。すると、人々の間で雑誌は明確な像を結ばず、ということは、意識にしっかり定着しない。それは避けたいと思っていました。


3)は、旧来の雑誌とはちがう新規性を感じさせたかったからです。それまでにあった登山の雑誌は、『山と溪谷』とか『岳人』とか『山の本』とか、日本語タイトルばかりでした(昔は『アルプ』とかもありましたが)。それらとはちがう、新時代の山の雑誌である。ということを表現するには、カタカナ(外来語)が望ましいと思っていました。


私は車を走らせながら、PEAKSをこの1~3の観点からも検討しました。PEAKSはそのどれもを、完璧にクリアしました。


タイトルが決まった瞬間、「これ、できるかも」と、不思議な感覚にとらわれたことを覚えています。あれだけ絶対無理だと思っていたことが、タイトルが決まったら、なんとかなるような気がしてきたのです。


同時に、PEAKSというタイトルに合わせて、雑誌作りに必要な要素がどんどん勝手に浮かんできました。想定読者層はどんなところにおけばいいか、どんな企画をやればいいか、デザインはどういう方向性で作ればいいか……。雑誌の大枠が頭の中で自動的に組み上がっていき、立体的な企画として立ち上がってきました。


甲府を過ぎたあたりからは、もう完全にやる気になっていて、考えることは、企画の内容や制作の段取りなど、具体的なことばかりになっていきました。帰宅したのは23時か24時ごろだったと思いますが、そのまま新雑誌の企画書を書きました。それがこれです。




ファイルのプロパティを見ると、作成日時は2009年4月2日の午前2時40分になっていました。ということは、松本に行っていたのは4月1日だったのでしょう。


「30代のための山歩きmagazine」というキャッチコピーが恥ずかしいですが、想定読者層を30代にしようとこのときすでに決めていたことがわかります。


なぜ30代か。ひとつには、枻出版社という会社の持ち味として、年配層より若い層に向けたもの作りのほうが得意ということがありました。もうひとつは、当時、30代以下の人に訴える登山メディアが存在しなかったことにあります。二大登山誌と言われていた『山と溪谷』と『岳人』は、このころ想定読者を完全に40代以上(いや、50代以上?)の年配層に振っていて、若い人が読んで面白い記事はほとんどなかったのです。


その結果、若い登山者たちは、インターネットでそれぞれ適当に情報を収集し、山に登っていました。ネット上に彼ら彼女らの居場所となりうる強力なサイトがあればよかったのですが、それもなく、ネット上に浮遊した情報の断片を自分なりに拾って登っているように私には見えました。


当時はまだ、山ガールブームが盛り上がる前です。登山というのは年配層の趣味であるという認識が一般的な時代で、若い世代は登山界から見捨てられた存在のように思えました。商売を考えれば、絶対数の多い年配層に向けたほうがいいのかもしれないけれど、それはもうヤマケイや岳人がやっている。ならば、彼らがやらないことをやろう。見捨てられた人たちの居場所を作ろう。それは売れないかもしれないけれど、1カ月しかないんだから失敗してもともと。ならば、つまらない二番煎じをやって失敗するより、未開拓のことをやって玉砕したい。……そう考えたわけです。


明けて翌日の会議、辞表のかわりに、私はこの企画書をたたきつけました。会議の出席者は朝比奈さんと、ヤマケイ時代からの同僚、ドビー山本(山本晃市)。自信満々で出したPEAKSというタイトルは「いいじゃん」と受け入れられ、朝比奈さんはすぐさま社長のもとに報告に行きました。PEAKSというタイトルと聞いて社長は「そうきたか」とニヤッとしたそうで、B案もC案も必要とせず、すぐGOとなりました。


そのあとは、準備していたムックの企画を定期誌用に作り替え、新規の記事立案、連載等の準備、広告営業先のリストアップなどなど、嵐に巻き込まれていきました。


厳しい毎日が始まりましたが、タイトルロゴの作成は面白かった思い出です。PEACSデザイナーチームが、30個くらいのロゴを作ってくれました。それをテーブルの上に広げて、どれにするかを話し合うのです。そのなかに「お!」と目に止まるものがありました。以下のようなものです(私が記憶で再現したもの。本物はもっと完成度高かったです)。


パタゴニアのロゴのマネといえばそうなんですが、ひと目で山が感じられていいな! と思ったのです。朝比奈さんも同様にこれがベストだと思ったようで、「これでいこう!」と意見は一致。ところが、ロゴが決まってひと安心と思っていたら、しばらくして会社の上層部から「タイトルが破れているように見えるのはよくない」とNGが出て、幻のタイトルロゴとなってしまいました。


今にして思えば、一回くらい会社の意見を押し返してもよかったんじゃないかという気もしますが、そのときはその余裕はまったくありませんでした。企画を作り、ライターやカメラマンに依頼をし、ページの中身を作っていくことで精一杯だったのです。誌面のビジュアルやデザインのトーンについても自分なりのイメージはあったのですが、そのへんの大枠の話は朝比奈さんにまかせきりで、結局、ほとんどなにもできませんでした。紙の選定について希望を生かせたくらいでしょうか。


編集部のスタッフ、営業部員、ライター、デザイナーにも無茶に無茶を通して、最後は自分も会社の椅子で4連徹して、ようやく校了。絶対に無理だと思っていた本が、本当に5月21日に発売されました。校了後、自分がどうしていたかはまったく記憶にありません。


これだけ無理を通しただけあって、気に入らないところ、もっとこうしたかったところ、練りが足りないところなど、当然ながら満載で、今見ると穴だらけもいいところです。校了直前にどうしても1ページ埋まらなくて、本来1ページの記事をデザイナーのウルトラテクニックで2ページに水増ししたところもあります(持っている方はどこだか探してみてください)。


実際、創刊後の初期のPEAKSは恥ずかしいところばかりで、しばらく見たくありませんでした。8年たった今でも見るのには勇気がいるのですが、時間がたって距離をおいたからでしょうか、以前よりは読むことができます。時間に追われて書き飛ばしたと思っていた自分の原稿が意外とよかったりして、少しホッとしたりもしています。


その後のことは、寺倉さんのインタビューにもあったとおり。自分の仕事人生でいちばんきつかった一年になったのですが、まあ、やってよかったなと思っています。


ひとつ思うのは、枻出版社のバカげた決断力がなかったら、PEAKSは生まれていなかったなということ。私も枻出版社が新たに立ち上げたアウトドア編集部の一員となったからには、得意の登山雑誌を作ろうとは考えていました。しかし、それには十分な準備期間が必要で、まずはムックを出して少しずつ信用を得ていくのが得策だ……と常識的に考えていたのです。


ところが、その当時、自分が書いたムックの企画書も出てきました。それを今読むと、まあ、ヌルいヌルい。こんなヘボい企画書じゃ、ろくなもんはできやしねーよ。今の自分がこの企画書を渡されたとしたら、なんかいろいろ書いてあるけどつまんねえなと、3分で見切りをつけることでしょう。一方、4月2日の夜にたった2時間で書いた企画書は熱い。やりたいこと、やるべきことが簡潔明確に書かれていて、人を動かす力が感じられます。会社のバカげた決断が私の心に強大な負荷をかけた結果、押し縮められたバネが飛び出すように、自分ひとりでは出せなかったエネルギーが出せたと思うのです。


企画書の草稿には、なかなかいいことが書かれていました。

これまでのメディアで知られていないだけで、それぞれに情熱をもって山登りをしている若者はじつはたくさんいます。 
サラリーマンでありながら年間100日近くも山に通っている人、山好きが高じて山小屋に転職してしまった独身女性、さらには、高山植物の保護に情熱を傾ける自然公園管理官、新しい山小屋のあり方に日々アイデアを巡らせている若主人、そして、ヨーロッパのすぐれた登山カルチャーを日本にも導入したいと奮闘する若手ガイド、世界一の評価を受けながら国内ではほとんど知られていないクライマーなどなど……。 
『PEAKS』は、そうしたこれからのロールモデルとなるべきさまざまな人を登場させることを通じて、山登りの新しい魅力を伝えます。次代の登山カルチャーを作り出すこと――それが『PEAKS』のミッションです。

この文章、今までずっと書いたことを忘れていました。ところがこれ、PEAKSを作りながらずっと念頭に置いていたことだったんです。ああ、おれはブレてなかったんだと今知りました。おれえらい。


8年たって、これがどの程度実現されたのかはよくわかりません。もっとできたのではないかなと、自分の力不足も痛感しています。でも、運よく時代の追い風もあって、自分にやれることはできたのではないかと思っています。



……寺倉さんに話したことも話してなかったことも、記憶がずるずる蘇ってきてえらく長くなりました。でもたまにはこうして自分を振り返るのもいいですね。機会を与えてくれた寺倉さんと編集部に感謝。