2016年10月22日土曜日

デトノアイソメに行きたい

仕事の筆が進まないので、珍しくブログ記事の連投を。


昨日登った八海山の西側には、気になる地名がたくさんあります。


まずはこれ。


なんだこりゃ? 地名なのか? それともなんかの記号みたいなものなのか? でも国土地理院の地形図に表記されているので、れっきとした地名と判断するしかない。


いったい「デトノアイソメ」とは何なのだろうか。漢字で書くとたとえば「出戸乃愛染」? いや、切る場所が違うのかもしれない。デ・トノ・ア・イソメでさしずめ「出殿阿磯目」あたりか。山の中だから磯目はないか……。


とにかくわけがわからない。山の地名には変なものがときおりあるが、これはかなりレベルが高い。同じ新潟の早出川にあるガンガラシバナに匹敵する。「わけがわからない」というだけで、私はそれに対する興味が抑えられなくなってしまう。なぜ「デトノアイソメ」なのか知りたい。そしてデトノアイソメをこの目で見てみたい。


以前、越後駒ヶ岳と中ノ岳を登ったときにもめちゃくちゃ気になっていたけれど、今回、地図を見ていて久しぶりに思い出した。思い出して稜線上から撮った写真がこれ。


画面中央、沢の合流点となっているところがおそらくデトノアイソメ。うーん、行ってみたいぞ! 気になりすぎてネット検索したところ、行っている人はやっぱりいて、現場には別に何もないらしいけれど。





次に、八海山と中ノ岳を結ぶ稜線上にあるこれ。


稜線上にV字に切れ込んだコルになっている。こういう地形に「ノゾキ」と名付けられるケースは他にもあるので、ここは「オカメ・ノ・ゾキ」ではなく、間違いなく「オカメ・ノゾキ」だろう。それにしてもなぜオカメなのだ。オカメがコルから崖下を覗き込んでいる姿が頭に浮かんでしまう(ところでオカメってなんだ)。


ここは名前だけでなく、地形的にもかなり強烈で、ものすごいV字コルになっている。北アルプスにあったら絶対にオカメキレットと呼ばれていただろう。

このアングルからだとわかりにくいけれど、稜線のいちばん低い場所がオカメノゾキ


越後三山縦走のコースでもあるけれど、このオカメノゾキの区間はハードなことで有名。なにしろオカメノゾキの標高は1240mくらい。1778mの八海山入道岳から500m以上下って、その後、中ノ岳までは一転して怒涛の800mアップ。こんなハードなアップダウン、南アルプスにもありません。

オカメノゾキから中ノ岳への800m超アップ。もはや壁のよう。見ただけで吐きそうです


この区間、私はまだ歩いておりません。一度は行ってみたいのだけど、覚悟がいりそうだな〜。





ほかに、越後駒ヶ岳のすぐ近くにも「フキギ」なんていうピークがあります。


ここは地形的にもかなり特異です。フキギから西(左)に延びる稜線と、そのすぐ下の沢(オツルミズ沢)の関係性をよく見てください。こんなへんな地形見たことない。名前だけじゃなくて、この地形を自分の目で見てみたい。





さて、越後三山周辺ではないし、国土地理院図にも表記がないのだけど、いまのところ私が知っている「変地名」のなかで最強と目されるのが、奥秩父金峰山近くにある「チョキ」です。標高1883mのピークなんですが、なぜチョキなんだ。山名でチョキなんてありなのか。そもそもどういう字を書くんだ。猪木? これじゃイノキか。いや、チョキと読むこともできるぞ。まさかパーはあるのか。それならばグーも絶対に欲しい……。


変地名は、それだけでさまざまな想像(妄想)を広げてくれる素晴らしいものでもあるのです。



山岳写真のウソ

昨日(21日)は八海山に登ってきました。デスクワークが続いてストレスがたまってきたので、突然の思いつきで単独行。本当は木曜日に行くつもりだったのだけど、天気がイマイチっぽかったので翌日に。平日でもこんなふうに思いつきひとつで動けるのがフリーランス最大の醍醐味だと思っています。そのかわり土曜日のきょうは仕事しているのだけど。


コースは、ロープウェー〜八海山〜阿寺山というもの。八海山はさすがに人気の山だけあって、平日だというのにけっこうな数の登山者が来ていました。ただ、私をのぞいてほぼ全員がロープウェーからの往復だったようで、阿寺山方面はひとりの登山者にも会わず。こちらは登山道も荒れ気味で、静かなもんでした。


個人的お目当てのひとつだったのが、八海山の紅葉。昔、この隣の中ノ岳で人生最高の紅葉を見たことがあるので、このへんの紅葉の美しさには期待していたのです。


その期待に違わぬ美しさ! 八海山頂上稜線から見下ろした山肌ですが、どうですか! 見事でしょう!




……というのはウソで、実際はこんな感じでした。



最初の写真は「風景モード」という、彩度とコントラストを上げた設定にしているので、ビビッドで派手な発色になっています。実際の見た目に近いのは2枚目の写真のほうです。


山の風景ってのは、こういうふうに彩度とコントラストを上げると簡単に見栄えのいい写真になるのです。やり方は簡単。カメラの設定を「風景」とか「ビビッド」とかにしておくだけ。インスタグラムアプリとかは、イイ感じのプリセットがいっぱいあって撮影後に選べるようになっていますが、要はこういうことをやっているわけです。


こういう色調整というのは、プロのカメラマンも多かれ少なかれみんなやっています。紅葉の取材に行って「紅葉イマイチだったな」というときでも、カメラマンから写真をもらったら素晴らしい紅葉が写っていた、なんて経験も一度や二度ではありません。もはやデジタルはなんでもできるのです。


で、デジタルだけではありません。フィルム時代、山の撮影ではフジの「ベルビア」というフィルムが圧倒的な人気を誇っていました。風景写真家や山岳写真家の8割から9割はベルビアを使用していたと記憶しています。このベルビアというフィルムはどぎつい発色が特徴で、それこそ冒頭の八海山の写真のような色が出ました。空は完璧に青く、樹々はすばらしく緑で、紅葉を撮れば、どうってことのない紅葉が錦の海になったものです。




さて、紅葉についての山岳写真のウソ、もうひとつあります。それは、紅葉がパッとしないとき、「紅葉がきれいな木をひとつだけ見つけ、それを手前に配置する」というものです。


具体的な例で説明しましょう。


これは2014年の9月末に裏剱の仙人池という、紅葉撮影の名所で撮ったものです。山旅ツアーのチラシに使えそうな素晴らしい紅葉だと思いませんか。


しかし、この写真を撮った場所から3m左に移動して撮ったものがこちら。


俄然、冴えない風景になってしまいました。しかし、当日の現場の印象としてはこちらのほうが実を表しています。




もうひとつ、こういうのもあります。


これは2013年の9月20日ごろに剱沢で撮ったものですが、これだけ見ると、周囲一帯が紅葉に包まれているように思えます。


しかしここからぐーっと引いて周囲一帯を写すとこんな具合でした。


「コレ」と記したのが、1枚目に写っているオレンジに紅葉した木。豆粒のごとくで、他はまだ青々としており、紅葉というにはまだ早すぎる感じであることがわかると思います。



雑誌に載っているような紅葉の山岳写真は、上に書いた2点のどちらか、あるいは両方をやっているものがほとんどといっても過言ではありません。逆に言えば、これらをやるだけで、あなたの紅葉写真のインパクトは倍増するはずであります。さらに言えば、インスタグラムやフェイスブックのタイムラインに流れてくる写真に「お! すごい!」と早合点して出かけたところ、大したことなかったという悲喜劇を防ぐためにも。。。

2016年10月19日水曜日

白馬岳に新しい登山道ができる!?

白馬岳新ルート検討 雪不足の大雪渓 影響見通せず


不安定な状態が続いている白馬大雪渓についに見切りをつけ(?)、新しい登山道を作ることが検討されているらしい。


これが実現されれば、北アルプス久々の新登山道ということになる(栂海新道以来ということになるんじゃないかな)。ちょっとワクワクするニュースだ。


と同時に、歴史ある大雪渓ルートが廃道ということにもなってしまうのか。それはそれで寂しい。




ところで記事の図によれば、新登山道はこんな感じになるのかな。







地形図を眺めていたら、その左にもっときれいな尾根があることに気づいた(緑線)。



こっちのほうがラインとしてはすっきりしているんじゃないかと思うのだけど、どうなんだろう。ほぼ休みなしの1000m一気登りになるからきつすぎるのかな。それとも、尾根最上部に崖記号が認められるので、通行困難な道になってしまうのか。


地図を眺めながら、こうしてルートプランをあれこれ妄想しているときがいちばん楽しいね。



2016年10月13日木曜日

山岳ガイドが憧れの職業

伊藤 伴。日本最年少にしてエベレスト、ローツェの連続登頂を成し遂げた男---その2


今年5月、エベレスト日本人最年少登頂記録を作った大学生、伊藤伴さんのインタビュー記事です(最年少記録はその直後に南谷真鈴さんに塗り替えられてしまいましたが)。


いちばん印象的だったのは、将来の夢を聞かれて「山岳ガイドになりたい」と答えているところ。


時代は変わったなあと思うのです。


昔は、「植村直己さんのような冒険家になりたい」とか「世界的なクライマーになりたい」という夢を語る若者はいても、「ガイドになりたい」という人はまずいなかった。そのころ(私が若い頃だから25年くらい前)は、山岳ガイドというと、登山にのめり込みすぎてまともな社会生活を送れなくなった人が生活のために仕方なくやる職業、というイメージが強かったんです。プロ意識も低そうで、とても憧れるようなものではありませんでした。


でも今では、19歳の若者が将来の夢として山岳ガイドをあげるのも十分ありえる話だ。伊藤さんの師である近藤謙司さんとかかっこいいもんね。私の知っているところでは、長岡健一さんとか花谷泰広さんとかも同じ。彼らは「仕方なく」ガイドをやっているのではなく、プロとして意欲的に取り組んでいる。そして大きいのは、経済的にきちんと成り立たせているところ。昔のガイドのようにその日暮らしでは憧れようもないですからね。


10代のときにフランスでガイド修行をして資格も取った江本悠滋さんが言うには、フランスでは山岳ガイドが少年の憧れ職業のひとつだそうです。自分もそうなりたくてガイドの道に進むことにしたと。日本もそういう社会にしたいと昔から言ってました。


そういう過去を思い返すと、時代はずいぶん変わった。伊藤さんの言葉はその象徴のように聞こえたのでした。