本日15日発売の『山と溪谷』8月号に、長野県登山安全条例についての記事を書きました。長野県内の山168山で登山届が義務化されるということで、注目を集めていた条例です。条例施行は7月1日。
記事はモノクロ3ページという地味なものなのですが、長野県庁にまで取材に行って手間をかけました。わかりにくい条例を噛み砕き、この条例の本質はなんなのか、登山者としてはどう対応すればよいのかを説明しております。今月のヤマケイのなかでは必見の記事かと思います。すごくわかりやすいです。なぜわかりやすいのかというと、たぶん筆者が森山憲一であることが最大の理由かと思います。
冗談はさておき。
この条例では、冒頭に書いたように、長野県内の主要な山168山で新たに登山届を義務化するということが定められています。その登山届が必要になるのはどこなのか。それが非常にわかりにくいです。まずはここを見てください。
長野県で登山を楽しまれる際は、「登山計画書」を提出しましょう!
ずらっと山のリストが出てくるんですが、文字だけなので、ここがまずわかりにくい。さらに、条例の対象となるのは、もう一段決まり事があります。このあたりかなり複雑なので、詳しくはヤマケイの記事を読んでください。
ただし、記事にも書いたんですが、沢登りやクライミングをする人、あるいは長野県在住の人などをのぞけば、これらの決まりを正確に理解する必要はないかなと思いました。「長野の山に登るならば、いつでもどこでも登山届が必要」と覚えておけばOKです。条例の対象外となるようなところは全国的にはマイナーな山ばかり。登山前にいちいちこの複雑な条例を読み解いて「この山は条例対象かな」と調べるよりも、「どこでも必要」と機械的に覚えておいたほうが、トータルで手間がないということです。
記事では若干批判めいたニュアンスのことも書きましたが、それは条例に関して少々疑問な点があるだけで、登山届自体には、私は賛成の立場です。条例のあるなしにかかわらず、絶対出したほうがいいです。理由は、自分のためになるからです。
万一遭難してしまった場合、登山届が出ていなければ、救助者はどこを探していいのかわかりません。よくあることなんですが、「山に行ってくる」とだけ言って家を出たまま帰ってこないという通報が、家族から警察にくるそうです。だれか仲間と行っていればまだしも、これが単独だと、探しようはほとんどないわけです。だって、どこに行っているのかさっぱりわからないのだから。実際、このまま行方不明となって数ヶ月後に遺体で偶然発見されるとか、あるいは見つからずじまいという事例もいくつもあります。
遭難してピンチに陥ったときの自分の心理を想像してみれば、その重要性はもっと理解できるかと思います。たとえば、ひとりで歩いているときに、山深くだれも来ないような谷間に滑落して動けなくなってしまった。幸いまだ息はあるが、かなり重傷でこのまま何日もつかはわからない。携帯電話は圏外だ。叫んでも人が通りかかる気配はゼロ。よほどの幸運でもないかぎりはここでゲームオーバー。
しかし登山届を出してさえいれば、この絶望的な状況でも、わずかな望みは残るわけです。だれかが救助に来てくれるかもしれないと。
登山届というのは、エマージェンシーキットや山岳保険みたいなもの。私はそういう認識です。「出せ」と言われるから出すようなものではなくて、出さないと自分が困るから出す。そういうものだと思っています。
とはいえ、登山届を出すのはめんどくさい。はっきり言ってかなり面倒くさいです。登山届の提出率は10%くらいとよく言われます。出していない90%のうち、面倒だから出さなかったという人が半分くらいはいるんじゃないんでしょうか(残りは登山届の存在を知らなかったとか、ポリシーとして出さないとか)。
私は大学探検部というところで登山を始め、そこでは、どこかに行く場合、必ず部に届を出すのが決まりでした。はじめからそういうものとして登山を始めたので、登山届を書くのはかなり苦にならないほうですが、それでも面倒くさいです。時間なくて書かないまま行ってしまうこともあります。
でもやっぱり出すべきで、そのために、登山届をできるだけ省力化することを考えてきました。やっていたのは、パソコンで書式を作っておいて、その都度必要なところだけ書き換えるという方法です。これでかなり手間は軽減されましたが、もっと簡単にしたい。
昔、ニュージーランドに行ったときにそのヒントを見つけました。ニュージーランドの山には、どの登山口にも登山届の用紙が設置されているのですが、それがものすごくシンプルだったのです。書くことは、名前と連絡先、予定コースくらい。用紙の大きさもB6くらいの小さなものだったと記憶します。「これだ!」と思いました。これでいいじゃんと。
そもそも、日本の登山界で推奨される「登山計画書」の書式は複雑すぎるのです。たとえば、今回の長野県が書式例として公開しているのはこれです。
登山計画書作成例
見ただけで書く気がなくなりそうになりませんか。私が編集をやっていたころの『山と溪谷』で作っていた書式などは、もっと書く項目が多いものでした(今でもほとんど変わってない)。
しかし、先に書いたような状況のときに役立つ最低限の情報があればよいという立場に立てば、どうしても必要なのは、登る人の名前と連絡先(本人の連絡先ではなく、家族などの連絡先であることに注意)、そして予定のコースがどこかだけです。ほかは、あればもちろん役には立つ情報ですが、「絶対」必要ではない。
てなことを考えていたころに、以下のブログを読みました。書いているのは、山小屋で働いていて、遭難救助などにも携わった経験のある方なのですが、これを読んで私は首が折れるかと思うほど強くうなずいてしまいました。あまりに共感したので、思わずコメント書き込んでしまってます。恥ずかしい。
入山届を軽量化してみる
現場での経験からなのでしょうか。研ぎ澄まされています。付け加えることはありません。これが登山届のファイナルアンサーであります。
長野県の登山条例と私が意見が合わないのは、ここなのです。長野県が登山届を義務化したことには、入山前によく調べて情報量豊富な登山計画書を作ることで、登山への意識を高め、ひいては遭難減少につなげたいという狙いがあるといいます。それは正論ではあるのですが、人間は面倒くささに勝てない生き物であるという視点が欠けているように私は思うのです。多くの人はそんな正論どおりには動けない。後ろ向きな認識かもしれませんが、それが現実なのではないでしょうか。
ならば、登山届はできるだけわかりやすくシンプルにして、とにかく提出率を上げることだけに力を注ぐ。そのほうが結果的に得られる実りは大きいように私は思うのです。
いちばん手軽でわかりやすいのは、登山口にある登山届用のポストです。それがない場合は、事前に地元県警にインターネットやファクス、郵送で提出することになります。
ただしこの事前提出がまた面倒くさい。郵送で登山届を提出している人って、いったいどれくらいいるんでしょうか。都道府県によって受け付けている提出方法がまちまちであることも面倒くさい大きな理由です。「どこにどうやって出したらいいのかわからない」というのは、複雑な書式以上に、提出率を下げている大きな理由になっているような気がします。
個人的には、全国統一の専用サイトがあって、そこから提出できるようになるのが理想かと思います。長野県が条例施行に合わせて利用を推奨している「コンパス」というサイトは、それになり得る可能性をもっており、そこは私も長野県の姿勢を評価するところであります。
ただ、本当は、話はもっと単純なことなのかもしれません。ある山岳救助隊員の方が「行動予定を家族に伝えておいてくれればいいんです」と言っていたそうです。それさえしておけば、別に登山届は出さなくたってかまわないと。下山予定日に帰ってこなければ、家族は警察に連絡してくる。登山届を出していたところで、最初の第一報は家族(あるいはもっとも近しい人)からくるのが通常なのだから、届を出していてもいなくても結果は変わらない。
私もそのとおりと思います。なので私は、登山計画書を書いたら、まず妻にメールしておくようにしています。そしてそれをプリントして持っていき、登山口のポストに投函します。ポストがなければ、投函しないまま登っちゃいます。無届け登山になるわけですが、妻が山行内容を知っているので問題ないわけです。
ただしこのとき、意識的に実践しているのは、万一下山してこなかった場合に何をするべきかを妻に伝えておくこと。とはいっても、やることは110番に電話することだけ。しかし私の妻は登山をやらない人なので、教えられなければ、110番に連絡するということもすぐには思いつかないはずなのです。
もちろん110番に連絡するより登る山の地元警察のほうがベターで、登山雑誌などにもそのように書いてあることが多いのですが、登山素人の妻が動揺した精神状態で、山の所在地を調べ、そこの警察の電話番号を調べ……なんてことをてきぱきと遂行できるとは思えません。110番にかけたって、すぐに地元警察に話が回るはずなので、妻がモタモタ調べるよりそのほうがずっと話が早い。ということで、「110番に電話しろ」と伝えておくのがベストだという結論に至っています。
もうひとつ。「最終下山日時」というのを設定して妻に伝えることもしています。その時間を過ぎても連絡がなかったら遭難したと見なせ、という日時のことです。これは、大学探検部の届けにあった項目で、この時間を過ぎたら、部員がスクランブルで捜索に動き出すことになっていました。
一般的な登山計画書ではあまり見ないものなのですが、有効だと思うので今でも採用しています。たとえば下山予定日に帰ってこなかった場合、家族は心配するわけですが、すぐに警察に連絡して大騒ぎすると、その数時間後にひょっこり帰ってくるかもしれない、いつまで待ったらいいのかな……。
記事はモノクロ3ページという地味なものなのですが、長野県庁にまで取材に行って手間をかけました。わかりにくい条例を噛み砕き、この条例の本質はなんなのか、登山者としてはどう対応すればよいのかを説明しております。今月のヤマケイのなかでは必見の記事かと思います。すごくわかりやすいです。なぜわかりやすいのかというと、たぶん筆者が森山憲一であることが最大の理由かと思います。
長野県登山安全条例
冗談はさておき。
この条例では、冒頭に書いたように、長野県内の主要な山168山で新たに登山届を義務化するということが定められています。その登山届が必要になるのはどこなのか。それが非常にわかりにくいです。まずはここを見てください。
長野県で登山を楽しまれる際は、「登山計画書」を提出しましょう!
ずらっと山のリストが出てくるんですが、文字だけなので、ここがまずわかりにくい。さらに、条例の対象となるのは、もう一段決まり事があります。このあたりかなり複雑なので、詳しくはヤマケイの記事を読んでください。
ただし、記事にも書いたんですが、沢登りやクライミングをする人、あるいは長野県在住の人などをのぞけば、これらの決まりを正確に理解する必要はないかなと思いました。「長野の山に登るならば、いつでもどこでも登山届が必要」と覚えておけばOKです。条例の対象外となるようなところは全国的にはマイナーな山ばかり。登山前にいちいちこの複雑な条例を読み解いて「この山は条例対象かな」と調べるよりも、「どこでも必要」と機械的に覚えておいたほうが、トータルで手間がないということです。
登山届
記事では若干批判めいたニュアンスのことも書きましたが、それは条例に関して少々疑問な点があるだけで、登山届自体には、私は賛成の立場です。条例のあるなしにかかわらず、絶対出したほうがいいです。理由は、自分のためになるからです。
万一遭難してしまった場合、登山届が出ていなければ、救助者はどこを探していいのかわかりません。よくあることなんですが、「山に行ってくる」とだけ言って家を出たまま帰ってこないという通報が、家族から警察にくるそうです。だれか仲間と行っていればまだしも、これが単独だと、探しようはほとんどないわけです。だって、どこに行っているのかさっぱりわからないのだから。実際、このまま行方不明となって数ヶ月後に遺体で偶然発見されるとか、あるいは見つからずじまいという事例もいくつもあります。
遭難してピンチに陥ったときの自分の心理を想像してみれば、その重要性はもっと理解できるかと思います。たとえば、ひとりで歩いているときに、山深くだれも来ないような谷間に滑落して動けなくなってしまった。幸いまだ息はあるが、かなり重傷でこのまま何日もつかはわからない。携帯電話は圏外だ。叫んでも人が通りかかる気配はゼロ。よほどの幸運でもないかぎりはここでゲームオーバー。
しかし登山届を出してさえいれば、この絶望的な状況でも、わずかな望みは残るわけです。だれかが救助に来てくれるかもしれないと。
登山届というのは、エマージェンシーキットや山岳保険みたいなもの。私はそういう認識です。「出せ」と言われるから出すようなものではなくて、出さないと自分が困るから出す。そういうものだと思っています。
登山届を簡単にしたい
とはいえ、登山届を出すのはめんどくさい。はっきり言ってかなり面倒くさいです。登山届の提出率は10%くらいとよく言われます。出していない90%のうち、面倒だから出さなかったという人が半分くらいはいるんじゃないんでしょうか(残りは登山届の存在を知らなかったとか、ポリシーとして出さないとか)。
私は大学探検部というところで登山を始め、そこでは、どこかに行く場合、必ず部に届を出すのが決まりでした。はじめからそういうものとして登山を始めたので、登山届を書くのはかなり苦にならないほうですが、それでも面倒くさいです。時間なくて書かないまま行ってしまうこともあります。
でもやっぱり出すべきで、そのために、登山届をできるだけ省力化することを考えてきました。やっていたのは、パソコンで書式を作っておいて、その都度必要なところだけ書き換えるという方法です。これでかなり手間は軽減されましたが、もっと簡単にしたい。
昔、ニュージーランドに行ったときにそのヒントを見つけました。ニュージーランドの山には、どの登山口にも登山届の用紙が設置されているのですが、それがものすごくシンプルだったのです。書くことは、名前と連絡先、予定コースくらい。用紙の大きさもB6くらいの小さなものだったと記憶します。「これだ!」と思いました。これでいいじゃんと。
そもそも、日本の登山界で推奨される「登山計画書」の書式は複雑すぎるのです。たとえば、今回の長野県が書式例として公開しているのはこれです。
登山計画書作成例
見ただけで書く気がなくなりそうになりませんか。私が編集をやっていたころの『山と溪谷』で作っていた書式などは、もっと書く項目が多いものでした(今でもほとんど変わってない)。
しかし、先に書いたような状況のときに役立つ最低限の情報があればよいという立場に立てば、どうしても必要なのは、登る人の名前と連絡先(本人の連絡先ではなく、家族などの連絡先であることに注意)、そして予定のコースがどこかだけです。ほかは、あればもちろん役には立つ情報ですが、「絶対」必要ではない。
てなことを考えていたころに、以下のブログを読みました。書いているのは、山小屋で働いていて、遭難救助などにも携わった経験のある方なのですが、これを読んで私は首が折れるかと思うほど強くうなずいてしまいました。あまりに共感したので、思わずコメント書き込んでしまってます。恥ずかしい。
入山届を軽量化してみる
現場での経験からなのでしょうか。研ぎ澄まされています。付け加えることはありません。これが登山届のファイナルアンサーであります。
長野県の登山条例と私が意見が合わないのは、ここなのです。長野県が登山届を義務化したことには、入山前によく調べて情報量豊富な登山計画書を作ることで、登山への意識を高め、ひいては遭難減少につなげたいという狙いがあるといいます。それは正論ではあるのですが、人間は面倒くささに勝てない生き物であるという視点が欠けているように私は思うのです。多くの人はそんな正論どおりには動けない。後ろ向きな認識かもしれませんが、それが現実なのではないでしょうか。
ならば、登山届はできるだけわかりやすくシンプルにして、とにかく提出率を上げることだけに力を注ぐ。そのほうが結果的に得られる実りは大きいように私は思うのです。
登山届はどこに出すか
いちばん手軽でわかりやすいのは、登山口にある登山届用のポストです。それがない場合は、事前に地元県警にインターネットやファクス、郵送で提出することになります。
ただしこの事前提出がまた面倒くさい。郵送で登山届を提出している人って、いったいどれくらいいるんでしょうか。都道府県によって受け付けている提出方法がまちまちであることも面倒くさい大きな理由です。「どこにどうやって出したらいいのかわからない」というのは、複雑な書式以上に、提出率を下げている大きな理由になっているような気がします。
個人的には、全国統一の専用サイトがあって、そこから提出できるようになるのが理想かと思います。長野県が条例施行に合わせて利用を推奨している「コンパス」というサイトは、それになり得る可能性をもっており、そこは私も長野県の姿勢を評価するところであります。
本当は家族に出せばいい
ただ、本当は、話はもっと単純なことなのかもしれません。ある山岳救助隊員の方が「行動予定を家族に伝えておいてくれればいいんです」と言っていたそうです。それさえしておけば、別に登山届は出さなくたってかまわないと。下山予定日に帰ってこなければ、家族は警察に連絡してくる。登山届を出していたところで、最初の第一報は家族(あるいはもっとも近しい人)からくるのが通常なのだから、届を出していてもいなくても結果は変わらない。
私もそのとおりと思います。なので私は、登山計画書を書いたら、まず妻にメールしておくようにしています。そしてそれをプリントして持っていき、登山口のポストに投函します。ポストがなければ、投函しないまま登っちゃいます。無届け登山になるわけですが、妻が山行内容を知っているので問題ないわけです。
ただしこのとき、意識的に実践しているのは、万一下山してこなかった場合に何をするべきかを妻に伝えておくこと。とはいっても、やることは110番に電話することだけ。しかし私の妻は登山をやらない人なので、教えられなければ、110番に連絡するということもすぐには思いつかないはずなのです。
もちろん110番に連絡するより登る山の地元警察のほうがベターで、登山雑誌などにもそのように書いてあることが多いのですが、登山素人の妻が動揺した精神状態で、山の所在地を調べ、そこの警察の電話番号を調べ……なんてことをてきぱきと遂行できるとは思えません。110番にかけたって、すぐに地元警察に話が回るはずなので、妻がモタモタ調べるよりそのほうがずっと話が早い。ということで、「110番に電話しろ」と伝えておくのがベストだという結論に至っています。
もうひとつ。「最終下山日時」というのを設定して妻に伝えることもしています。その時間を過ぎても連絡がなかったら遭難したと見なせ、という日時のことです。これは、大学探検部の届けにあった項目で、この時間を過ぎたら、部員がスクランブルで捜索に動き出すことになっていました。
一般的な登山計画書ではあまり見ないものなのですが、有効だと思うので今でも採用しています。たとえば下山予定日に帰ってこなかった場合、家族は心配するわけですが、すぐに警察に連絡して大騒ぎすると、その数時間後にひょっこり帰ってくるかもしれない、いつまで待ったらいいのかな……。
家族も登山をする人の場合は、そのへんの案配はある程度判断がつくものですが、そうでない場合は(私の家族とか)、判断できないまま不安な時間を無駄に過ごすことになってしまいますよね。ならば、時間単位で明確に設定しておいたほうがお互いにとってよいということです。これは、同居人がいなくて実家とか知人を連絡人にしている人には、より有効な手段かと思われます。
ただし、この日時の設定はわりと難しくて、ギリギリに設定してしまうと、わずかなアクシデントがあっただけで最終下山日時を過ぎてしまうことがあり得ます。かといって余裕を持たせすぎると、救助出動が遅れて手遅れになってしまうかもしれない。適切な日時を設定するには経験とそれに基づく想像力が必要なので、初心者のうちはやらないほうがいいかもしれません。
登山届は個人的に思うこといろいろあるテーマだったので、つい長くなりました。ほかにも、各種登山計画書作成サイトのレビューなど書きたいことあったのですが、長くなったのでそれはまた次回に。
ただし、この日時の設定はわりと難しくて、ギリギリに設定してしまうと、わずかなアクシデントがあっただけで最終下山日時を過ぎてしまうことがあり得ます。かといって余裕を持たせすぎると、救助出動が遅れて手遅れになってしまうかもしれない。適切な日時を設定するには経験とそれに基づく想像力が必要なので、初心者のうちはやらないほうがいいかもしれません。
登山届は個人的に思うこといろいろあるテーマだったので、つい長くなりました。ほかにも、各種登山計画書作成サイトのレビューなど書きたいことあったのですが、長くなったのでそれはまた次回に。
お久しぶりです。一年レスが無いのももったいない話なので書いてみます。
返信削除一般の登山者が登山届を出さない理由には、そのシステムの不明瞭さと統一性のなさが多いに関係していると思います。以下はその道の玄人筋との会話ではまず出てこない話ですが、
「出したらちょっと途中で予定を変更しただけで探されるんじゃないか?」
「出したら下山報告しなきゃいけないんでしょ?めんどくさいな」
このように、自分の意思に反して間違って救助隊が出てしまう事を恐れたり、システムがよくわからないことで届出を躊躇する方が案外いるのではないか?と常々思っています。
私も「下山報告を忘れて騒動になった」なんて話を以前稀にですが聞いた事があります。「え?下山報告なんているの?」って人が多いと思いますが、どういういきさつでそういう事になったのか事情もわからないまま、「登山届を出してうっかり下山報告を忘れたら探されてしまうんだろうか?」そんな不安だけが聞いた人の頭に残ります。
「宿の人の通報で救助になった」とかなら今でもニュースでたまに見ることがあります。これも「ああ、家族じゃなくても宿の通報でも探されちゃうのか」と詳しい経緯は普通はわからないまま耳に残ります。
とにかくどういうシステム、あるいは判断基準で救助隊がでるのかがわからないため、自分が遭難と思っていないにもかかわらず救助隊が出て、多数の人の手を煩わし多額の費用を請求されることを恐れて、初めから届けを出さないという選択をする人が実は案外いるのでは?と思うのです。
私は届け出事項のスリム化と合わせて、捜索隊を出す基準の明確化、統一化が今後最も必要だと考えています。
おおっ、ご無沙汰です! おっしゃることまさに同意。この「わかりにくさ」というのは最大のハードルかもしれませんね。
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