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2015年12月17日木曜日

「好きな登山家」山野井泰史

発売されたばかりの『山と溪谷』1月号に、
私のアイドル、山野井泰史さんのインタビュー記事を書きました。


山野井さんには何度もインタビューしたことがありますが、今回のテーマはちょっと特殊。
山と溪谷で「好きな登山家はだれですか」という読者アンケートをしたそうで、
その1位となったのが山野井さん。
それについて本人を取材してほしいという依頼でした。


となると、「1位の感想、どうですか?」ということくらいしか質問が思い浮かばず、
またそれに対して山野井さんが面白い答えを返してくれるとも思えず、
話が広がっていかないことがありありと目に見えたので、
取材のテーマを「登山家とはなんだ」というところにシフトして話を聞いてきました。


登山家とはなんだ。


これ、けっこう難しいテーマだと思います。
人によってイメージがずいぶん違うし、社会的な認識もさまざま。


一般的には、小説『神々の山嶺』のキャラクター羽生丈二のようなイメージがいちばん強いと思われます。
寡黙で、ストイックで、ヒゲを生やしていて気難しい。
そんなところでしょうかね。


しかしそんなステレオタイプな”登山家”、現代ではほとんどいません。
とくに、一流とされる人ほど、そういうイメージから遠いことが経験的に多いように思われます。
山野井さんなんか、ふだんはへらへらしていて、どちらかというと小柄なほうということもあって、屈強どころか弱々しい印象すらあります。


それに登山家って職業なのか? という問題もあります。
「登山家」って、なんの気なしに口にするけど、その定義はなんだ?
政治家とか建築家ならわかりやすいけれど、登山家ってなんだかわからない。
今でも地方紙などで「○○市在住の登山家、××さんが△△山に登頂成功」なんて記事がたまに出るけど、その××さんは趣味で登山をやっている、登山界的にも無名のただの会社員だったりする。
社会的な認識があいまいで、面倒くさい言葉なのです。登山家って。


そういう問題意識が個人的には昔からあって、そんなところを山野井さんはどう思うか、聞きました。
山野井さんの考えとしては、山野井さんのようなクライマーよりも、もっと山を広くとらえて活動している人が「登山家」というイメージに近いということでした。
そして「登山家は職業ではない」とも言っていました。
そのへん、詳しくは記事をお読みください。


ところで、こういうインタビュー記事の場合、原稿ができあがったところで本人に一度見せて確認をとります。
これ、書き手としてはけっこう気が重い作業なんです。
人によっては、取材時に言っていないようなことも含めて猛烈に直しを入れてきて、もう一から原稿書き直したほうが早いんじゃないかというようなこともあるもので。


しかし山野井さんは、まったく直しを入れてきません。
入れてくるとしたら、私が事実関係を間違っていたときのみです。
「それは3ピッチ目ではなくて、4ピッチ目です」
みたいなこと。
ほとんどの場合はなにもなしで終わります。
今回の返事もこれだけでした。
「原稿問題ありません。今夜から三重県の最近開拓された岩に行ってきます。」


たぶん山野井さんは、自分が人からどう見られるかということにほとんど関心がないのだと思います。
だから事実の訂正はするけど、ニュアンスについてはどうでもいい。


同時に、責任のありかということについて、明確な意識を持っているのだと私は解釈しています。
自分が言ったことについては責任を持つけれど、文章をどう作るかということは書き手の責任。
そこは自分が口をさしはさむことではないと。


山野井さんのように原稿に文句を言ってこない人のほうが書き手としてはラク……
と思えるのですが、実際は逆で、こちらのほうが書くときに緊張します。
「僕は自分の役割は果たしたよ、あなたの責任はあなたでしっかり果たしてね」
こう言われているような気がして、ヘボな文章は書けないなと気が引き締まるのです。


山野井さん自身は、自分がなんで1位になったのかよくわからないと言っていたけれど、
こういう清々しさが、私が山野井さんのファンである大きな理由であり、
また、「好きな登山家」アンケートで票を集めた理由のひとつでもあるはずなのです。絶対。






2015年12月10日木曜日

アディダス・ロックスター

今ごろですが、ただいま発売中の『PEAKS』12月号(1月号が12月15日発売なので、発売期間はあと4日!)に、9月末のドイツ取材の記事を書いています。&撮っています。


取材したのは、アディダスが主催する「ロックスター」というボルダリングコンペ。
この手のコンペとしては、世界でも最大規模で、近年注目されているコンペです。


確かに、徹底的にショーアップされていて、イベントとしての完成度はとても高いと感じました。

・会場は横浜アリーナみたいなところ。傾斜のある観客席なので、どこからも見やすい
・照明や音楽が洗練されている
・セット替えの時間にはアマチュアコンペやダンスパフォーマンス、ライブ演奏などがあって飽きさせない
・1位と2位の優勝決定戦(スーパーファイナル)は、同じ課題を同時に登って先に完登したほうが勝ちという方式。見ている側に誰が勝ったかわかりやすい
・充実したアイソレーションエリア。そもそも「アイソレーション」という言葉は「隔離」という意味があって選手を囚人のように扱っているかのように連想させるので、アイソレーションという言葉自体を使っていない。「アスリートラウンジ」と呼ばれている


ワールドカップなども運営がずいぶん洗練されたとはいえ、ロックスターに比べれば地味な感じがしました。
こう言うとクライミングの見世物化とも聞こえるのですが、これは選手自身が望んだスタイルとのこと。実際「この大会は選手の扱いが抜群にいい」という声を選手から聞きました。だから出場したのだと。
粛々と行なわれるコンペより会場が盛り上がる大会であってほしいとも。


今回はアディダスが経費を出してくれている取材なので、話を聞いた人はポジティブなコメントしかしないのは、まあ当たり前。
ただ、そのへんを割り引いてもよくできたコンペイベントだと思いました。
記事も、この手のタイアップ取材ものにしてはほとんど自由に作らせてくれて、納得いく仕上がりになりました。


今回は撮影もわたくし。
監督・脚本・撮影=自分みたいな記事です。
文章よりも写真のほうが出来がよく、むしろそっちを見てほしかったのですが、
スペース等の都合で載せられなかったものがたくさんあってもったいないので、ここに載せておきます。


adidas ROCKSTARS 2015




2015年12月4日金曜日

ROCK & SNOW no.70

この登攀に心動かされないなら、君はクライマーを名乗る資格はない。

戻れるところともう戻れないところの一線を越えるときがあるか、ということだよ





印象的な言葉がたくさんありました。
きょう発売の『ROCK & SNOW』は充実してます。


表紙は、瑞牆モアイフェースを登る倉上慶大。
今年見たクライミング写真のなかでベストショットかもしれない。
中面にも、これクラスのすごい写真がもう一枚載ってます。
この2カットを見るだけでも買う価値があります。
くそー、おれもこういうの撮りたい。


以前ブログに書いた例のルートが完登され、その記録が載っています。
事実関係についてはほぼ知っていたので新たな驚きはありませんでしたが、
瑞牆クライミングガイドを作った内藤直也さんの原稿は必見。
内藤さんの興奮と感動が手に取るように伝わってくる名文です。


瑞牆モアイフェースの記事以外もバラエティに富んでいて読み応えあり。
ガスライター(本業ガス屋+パートタイムライター)の大石明弘くんもたくさん記事を書いています。
そのなかで、ソニー・トロッターが言ったというこの言葉にはっとさせられました。


「下のプロテクションが効いているか、ビレイヤーがしっかりビレイしてくれているか、あるいは8の字が結ばれているかまで確認するクライマーがいるよね。少なくとも、それはダメだ」


私のことでしょうか……。


いや、私はそんなもんじゃなく、ロープの流れに足を引っかけないか、フォールラインに突き出た岩はないか、今つかんでいるホールドは欠けないか、まで入念に確認します。
そんなことをぐずぐずしているうちに、腕が疲れて落ちてしまうというわけです。
人生の核心にはわりと考えなしにプアプロテクションで突っ込んでしまうのですが、クライミングに関しては異常に慎重派なのです。
だからあんたはうまくならないんだとトロッターにずばり指摘されてしまいました。










2015年11月17日火曜日

バックカントリーギア界に大型新人現る

かつて、山と溪谷編集部にいたころ、登山用具メーカーの展示会や業界のイベントなどに行くと、必ず顔を合わせる男がいました。
それこそ必ずいました。私は全部に行っていたわけではないのだけれど、おそらくその男は私が行っていない場にも絶対いたと思われます。
同じように顔を合わせる同業者は他にもいたけれど、遭遇率の高さはダントツでナンバーワンでした。
当時、東京新聞出版局で発行していた『岳人』の広告担当部員・笹目達也という男です。


読者にとって、雑誌の編集部員は誌面でも名前や顔が出てくる機会も多いためなじみがあるかもしれません。一方で広告部員の存在はまったくといっていいほど知られていないと思います。
しかし、雑誌の売上は書店半分、広告半分といわれます。
雑誌が成り立つために優秀な編集部員の存在は欠かせませんが、
まったく同じウエイトで、優秀な広告部員の存在も欠かせないのです。
笹目さんは20代のころから、岳人の広告をたったひとりで担当していました。


当初は、体だけ大きくてなんだかもっさりした印象しかなかったのですが、上に書いたようにどこに行っても必ずいるのです。
そのフットワークの軽さは、他誌の広告営業マンと比較しても群を抜いていました。
と書くと、たんに足で稼ぐドブ板営業だけの男のようにも聞こえますが、ドブ板もここまで群を抜くとだれにも真似できない価値を持つものです。
実際、どこに行っても「岳人の笹目」の話を聞く機会が増えていきました。


そんなころ、私は枻出版社に移り、PEAKSの創刊に携わりました。
当時の枻出版社は山やアウトドアに詳しい人材が少なく、とくに広告担当の戦力不足は明らかでした。
「だれか登山業界に詳しい広告マンはいないかな……」
と考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのが笹目さんでした。
登山雑誌広告界のエースといえば、笹目さんしかいないと思われたのです。


なにかのおりに会ったときに、「笹目さん、PEAKSの広告やってくれないかな」と持ちかけてみたことがあります。
笹目さんはにやにやするのみでした。
それは無理もなく、東京新聞というのは、新聞業界のなかでも比較的経営の安定した会社で、給料はそれなりに高かったはずなのです。
海のものとも山のものともつかぬ新参雑誌に移ってくれるはずもありません。
「まあ、そうだよね……」と言って引き下がるしかありませんでした。


ご存じのとおり岳人は、昨年の8月号を最後に、65年続いた東京新聞からの発行に終わりを告げ、9月号からモンベル(ネイチュアエンタープライズ)の発行となりました。


東京新聞時代の岳人編集部は広告にあまり関心がないようでした。
それは広告に左右されない誌面の高潔さという長所を生んでいた一方で、採算という面ではマイナスに働いていたはずです。
東京新聞という金持ちの親がいたからこそ維持されてはいましたが、こういう事態は時間の問題だったのでしょう。


おそらく笹目さんは、すねかじりのままじゃいけないと、なんとかしようとしていたのだと思います。
しかし編集部員は何十年とやっているベテランの人ばかりで、ひとりしかいない若造広告部員の言うことなぞ、なかなか聞いてはもらえなかったそうです。
東京新聞時代の晩年は、そんな状況に少し疲れたような感じも見えました。
「負けるな、笹目」と心の中では応援していたのですが、ついにモンベルの刊行に代わり、同時に笹目さんの仕事も終わりを告げ、イベント担当に異動になっていきました。


モンベル岳人に移籍するのかなと思いましたがそれはありませんでした。
東京新聞正社員の身で、しかも東京で妻子を養う立場にある笹目さんにとって、社内異動を受け入れるのは当然の選択だったのでしょう。


その1年半後の先日、
記事でスノーショベルのことを調べていたところ、アルバというメーカーの資料が少なく、知り合いのライター井上D助に聞いてみました。
「アルバを扱ってる会社の人って知ってる?」
「笹目さんでいいんじゃない」
「え? 笹目ってあの笹目さん?」
「あれ? 知らなかった? 転職したらしいよ」


教えてもらった番号に電話をかけたところ、出たのはまぎれもなくあの笹目さんでした。
「また、どうして……」
笹目さんが転職したのは、株式会社ソネという、大阪を本拠とする小さな商社。コールテックスやスキートラーブなど、山スキー用品を古くから取り扱っている会社です。「小さな」というと失礼ですが、天下の東京新聞と比べると、間違いなく小さな会社といえます。
笹目さんはその東京営業所勤務なのですが、笹目さんを含めて2人しかいないというのだから。


例によって笹目さんは転職の理由をにやにやごにょごにょと言葉を濁しましたが、要は、山業界で仕事を続けたいということのようでした。
小さなお子さんと奥さんのいる笹目さんにとって、大きな決断であったことは間違いありません。
「でもそういうの、嫌いじゃないよ」と電話でも言ったとおり、私はこういう熱は大好きなのです。熱を持った人間が携わる世界は健全にまわるという信念を持っているもので。


ソネが扱っているブランドは、バックカントリー界ではどれも知られたブランドなのですが、どれも国内では他ブランドに隠れて、3番手、4番手的な存在。
しかし、これからこれらのブランドの存在感が増してくることを予想しておきます。
なにしろあの笹目が扱っているので。
転職したのは10月ですが、早くも今年のウィンターシーズンに向けていろいろ動いているようです。


笹目さんはスキーが非常にうまく、昔は妙高かどこかでイントラをやっていたほどの脚前だそうです。
だからもともとスキーには精通しており、岳人の広告営業で山業界にも詳しくなったという経歴。


バックカントリー業界というのは、スキー出身の人は山に疎く、山出身の人はスキーに疎いという世界で、両方をバランスよく知る人材がなかなかいないという事情があります。
営業マンという立場でいえば、スキー人間は登山ショップに足が向きにくく、その逆も起こりえます。どちらにも腰軽く顔を出せ、どちらにも対等に話ができる笹目さんのような人間は貴重なのであります。
アルバやスキートラーブが存在感を増すであろうとの予想は、そういう合理的な根拠にも基づいているのです。


ということで、笹目さんの応援として、ここでソネを大々的に紹介しておこうと思います。




2015年11月7日土曜日

アイゼンなのかクランポンなのか

登山に関する用語で、それまで一般的に使われていた呼び名を私が変えてしまったというものがいくつかあります。


ビレイディバイス
これとかこれのことです。確保器ともいいます。


2002年に発行された『ROCK & SNOW』で、ビレイデバイスの特集記事を作ったことがあります。
その冒頭の文章を書いていただいた山本和幸さんという人が言葉に厳密な人で、文章中すべて「ビレイディバイス」という表記を使っていました。
それまでは「ビレイデバイス」とみんな呼んでいたのですが、確かに綴り(Device)からすると「ディバイス」のほうが正しいようだ。
そこで、この特集記事ではすべて「ビレイディバイス」という表記を使ったのでした。


するとその後、クライミングギアメーカーのカタログやインターネット上で「ビレイディバイス」という表記が急に増えていきました。
クライミング界でのROCK&SNOWの影響力というのはかなり大きく、とくに人名や用語の表記はここで使われたものがクライミング界全体のスタンダードとなることが多いのです。
それまでまったく聞いたことがなかった「ビレイディバイス」が急速に増えていったのは、ROCK&SNOWの記事のせいであることは間違いありませんでした。


それを見て私は、ひとり「やっちまった感」を抱いていました。


高校生のころに私は、『BURRN!』というヘビーメタル雑誌が好きでよく読んでいました。
この雑誌には「ブルーズ」という言葉がよく出てきました。

「『ブルーズ』ってなんだ? 文脈からするとブルースのことらしいけど、わざわざ濁点をつけているということは、普通のブルースとはニュアンスの違うジャンルを表現しているんだろうか?」

高校生の私はそんなことを思ったりもしていたのですが、実のところはなんのことはなく、ブルースを発音に忠実な表記にしているだけなのでした。


やはりその当時好きなSF作家にマイクル・クライトンという人がいました。
『アンドロメダ病原体』とか、独特の不気味なトーンが漂っていて、かなりお気に入りだったものです。
その後、『ジュラシックパーク』でだれもが知るビッグネームとなるのですが、テレビや雑誌などでは「マイケル・クライトン」と紹介されているのです。

「ん? マイケル? あれ? 別人か? いや、でも、そんなわけは……」

もちろん別人なんかではなく、クライトンをいち早く日本に紹介した早川書房が「マイクル」という表記を使っていただけなのであります。
ちなみに綴りはMichael Crichton。
Michaelという名前は、日本では通常マイケルと表記しますよね。マイクル・ジャクソンとはいわないもんね。


このふたつのことから何が言えるか。


『BURRN!』も早川書房も、専門なだけに原音に忠実であろうとしたのだと思います。
確かにブルースは英語では「ブルーズ」と発音するし、マイケルも音的には「マイコォ」とか「マイクル」のほうが近いです。
しかしその結果として、(少なくとも私には)無用な事実の混乱を招いてしまったのです。


まわりくどくなりましたが、ビレイディバイスで私が「やっちまった感」を抱いたのは、これらの経験によります。
それまでデバイスと呼んでいたものがディバイスに変われば、何か別物になったのじゃないかと思われる可能性がある。
原音に正確であろうとした結果、それより重要であるはずの意味の混乱を招く。
それでは言葉として本末転倒なのではないか。だったら、多少発音が不正確でもすでに一般的になっている表記を使うべきなのではないか。
「デバイス」という言葉は当時から一般的に使われていて(デジタルデバイスとか)、そこをわざわざ「ディバイス」にする必要はなかった。いや、するべきではなかった。
……と、反省したのです。


しかし、「前号で『ディバイス』と表記したのは撤回します」と訂正を出すわけにもいかず、「ビレイディバイス」が普及していくのを心苦しく眺めることしかできませんでした。


というわけで、13年越しに「ビレイディバイス」の表記をここで撤回させていただきたく思います。実際、私は記事で「ディバイス」という表記を使っておきながら、この13年間、自分ではずっと「ビレイデバイス」と呼んでいました。ROCK&SNOW以外の場所では、書く際も「ビレイデバイス」としていました。申し訳ありませんでした。


というところで、長くなりましたがこの話題は終了……しようとしたのですが、ふと思いついて一応確認してみたところ、驚愕の事実が!
ここを開いて、三角マークをクリックしてみてください。
……「デバイス」って言ってない? そう聞こえますよね? 明らかに「ディバイス」じゃないよね!?


原音に正確であろうとした結果、無用な混乱を招いただけでなく、肝心の原音すら勘違いだったってことか!?
なんだかダブルで「やっちまった」のかも……。



アックス


アイスクライミングなどで使うクライミング用のピッケルのことです。
以前は「アイスバイル」あるいは略して「バイル」と呼ぶことが多かったのですが、近ごろは「アックス」と呼ぶほうが一般的です。
この呼び名の変化も私が原因——とまではいいませんが、私が後押しした可能性は濃厚です。


アイスバイルというのはドイツ語で(Eisbeil)、アイスハンマーという意味です。
しかし日本ではハンマーではなくアッズ(ブレード)の付いているタイプも一緒くたにアイスバイルと呼んでいました。ドイツ語でいくなら、そちらはアイスピッケル(Eispickel)と呼ばなければいけないのに。
そのへんの不整合性は、いちクライマーとしてはどっちでもいいことだったんですが、記事を書く立場としてはどうしても気になって、アイスバイルという言葉を使いたくなかったのです。


一方で、当時すでに「アックス」という呼称も一部で使われ始めていました。
アックスは英語Ice Axeの略。これならハンマータイプもアッズタイプもどちらでもOK。
ならばそれでいこう。
そう思った私は、ROCK&SNOW誌面ではすべて「アックス」という用語を使うようにしたのでした。


当時、ROCK&SNOW誌でのアイスクライミング記事は私が担当することが多く、必然、同誌では「アックス」という用語で統一されていくようになりました。
一般クライマーの間で「バイル」という呼称を聞く機会が減り、逆に「アックス」が増えていくようになったのもこのころと記憶しています。
私が変えたわけではないのですが、影響を与えた可能性は高いでしょう。


ところでクライミング用語は近年でも呼び方が変わったものがいくつかあり、その代表格は「ロープ」だと思います。
私がクライミングを始めた25年前は、「ザイル」という呼び方のほうが一般的だったように記憶しているのですが、今のクライマーは「ロープ」と呼ぶほうが普通です。
クライミング界は一般登山界よりも海外との交流が多い世界なので、英語に統一しようという気運が働いたのかもしれません。
いずれにしろ、一般社会的にもあれほど浸透した「ザイル」の呼称は意外なほど簡単に廃れ、やっている人の間では「ロープ」に換わってしまいました。
「ザイル」よりも「ロープ」のほうが若干発音しやすかったからではないかなと推測しています。
やっている人は頻繁にその言葉を口にしますからね。音数が少なく、言いやすく伝わりやすい言葉があれば、慣れ親しんだ言葉でも意外なほど簡単に捨て去ってしまうのだと思います。



バックパック


一般的に「ザック」と呼ばれているものです。
ザックはドイツ語ルックザック(Rucksack)の略、バックパック(Backpack)は英語で、同じものを指しています。
要は背中に背負うバッグのことです。


これについては、意図的にひとつの試みをしたことがあります。
『PEAKS』の創刊時から、「バックパック」という言葉で統一したのです。
理由は3つありました。


1.PEAKSの基となったアウトドア・フリーマガジン『フィールドライフ』では「バックパック」という用語を使っていた
2.旧来の登山雑誌と違う新味を表現したかった
3.登山用語は各国語が入り乱れているため、初心者にとってはわかりにくく、できるだけ統一したかった


こうした意図のもと、PEAKSでは創刊号からすべて「バックパック」と表記しました。
年配の方が書いた原稿などで、「バックパック」とするとあまりに違和感が強い場合をのぞき、「ザック」は基本的に封印。それは私が編集部を辞めたあと、現在に至るも続いています。


その間、PEAKS以外の場所でも「バックパック」という表記を見る機会が少しずつ増えてきました。
しかし「ザック」の浸透度は根強く、「バックパック」に置き換わる気配は見えません。
置き換わるにしても、今後まだまだ長い時間が必要に思えます。
バイルがアックスにあっさり換わったのに比べると、ザックのしぶとさが際立ちます。


その大きな理由は、「ザイル」のときと同じ、「音数」の問題ではないかと思われます。
「ザック」に比べて「バックパック」は発音数が倍になり、圧倒的に言いづらい。
ならばと「パック」と略してしまうと、なんのことかわかりにくくなってしまう。
これが「バックパック」が普及しにくい理由ではないかと思います。


こうしていろいろ考えると、「バックパック」を採用した試みには意味があったんだろうかと思わなくもありません。
ビレイディバイスのときのように、言葉を変えることで意味の混乱を招いているかもしれない。
なによりも、私自身がザック派です。自分でバックパックにしておきながら、自分でしゃべるときは「バックパック」なんてしゃらくさくて口にできません。


まあ、でも、四半世紀「ザック」で育ってしまった私のような世代はもういいんです。ほっとけば。
それよりも今後、登山の世界に入ってくる人たちにとって少しでもわかりやすくて便利な言葉はなにか。
そのときに英語にこだわりたい理由は、レスキュー界の話を聞いたことによります。
レスキューの世界でもやはり各国語が入り乱れていたそうです。
しかしそれでは、異なる地域の人たちが集まってレスキューに取り組むときに、使う用語が違うことによる混乱が生じたため、業界あげて意図的に英語に統一ということを進めているそうです。
登山でも、かかわる人が多様になっていくことを見据えれば、用語の統一は必要なことなんじゃないか……と思うのです。



クランポン


アイゼンのことです。
これとかこれとか


アイゼンはドイツ語シュタイクアイゼン(Steigeisen)の略、クランポン(Crampons)は英語です(フランス語でもクランポン)。


バックパックとまったく同じ構造ですね。
言葉の普及度からしても、「ザックvsバックパック」と「アイゼンvsクランポン」はほぼ同じような感じです。


これについても、最近、ひとつの試みをしてみました。
10月末に、私がメイン編集をした『最新雪山ギアガイド』という本が出たのですが、そのなかでは「クランポン」に表記を統一したのです。
これについては、バックパックほど明確な主張があったわけではありません。
表記はできれば英語に統一したほうがよいという基本理念と、メーカーを中心に少しずつクランポン表記が増えている現状を鑑みてのことです(上にあげたリンクはどちらも「クランポン」になっています)。


で、今後クランポンが普及するかどうか。
これは微妙ですね。
音でいえば、「アイゼン」と「クランポン」に言いやすさの決定的な差はありません。
どちらかというとアイゼンのほうが言いやすいかな。
ただ、ザックとバックパックに比べれば、その差はわずか。
だから今後クランポンが普及することもあり得るようには思います。


そしてこれまたバックパックと同じで、私自身はアイゼン派です。
四半世紀この言葉を使い続けていますからね。
ただしクランポンにはバックパックほど抵抗感はなく、今後宗旨替えをする可能性はあります。
抵抗感が少ないのはなぜかと言われても、理由はよくわからないんですが。



まとめ


用語のことをつらつら書き始めたら、日々考えていたことがどんどん出てきて、異常に長いエントリーになってしまいました。
ライターや編集という仕事をしていると、言葉の問題というのは考えさせられる機会が多く、言いたいことはいくらでもあるのです。
そして突き詰めれば突き詰めるほど矛盾があらわになってきて、迷いも増えていきます。
言葉というのは最初に体系的に作られるものではなく、自然発生的に使われているものの集合体なので、矛盾は絶対にあるのです。
だから文章においても、日々迷いと試行錯誤の連続なわけです。


そんなことにも少し注意して本を読んでいただければ、いままで気づかなかった発見もあるのではないかなと思います。
と、異常に長い文章のオチが、自分がかかわった本の宣伝という、ヒドいエントリーになってしまいました(笑)。






2015年10月14日水曜日

佐藤裕介インタビュー


15日発売の『岳人』に、佐藤裕介のインタビュー記事を書きました。
岳人がモンベル(正確にはネイチュアエンタープライズ)の経営に移ってから初めてお話しをいただき、自分のスケジュール的にはかなりきびしいときだったのですが、テーマが佐藤裕介と聞き、これはなんとかしなくてはと少し無理をして引き受けてしまいました。


佐藤くんに初めて会ったのは10年くらい前。
『ROCK & SNOW』の企画で行なわれた座談会の席でした。
「注目の若手クライマー」という感じで、各所で少しずつ名前を聞き始めたころでした。


座談会では、そののんびりした話し方とは裏腹に、クライミングに対する意見は非常に鋭く、すでに独自のクライミング観を持っているようでした。
「これは掘り出し物だ」と思いながら帰ったものです。


その後は、かの「ギリギリボーイズ」の一員としても活躍。
あっという間に、日本のアルパインクライミングのトップになっていきました。


彼の魅力は、無尽蔵のモチベーションと抜群の安定感。
これだけクライミングに入れ込み続けて飽きない人に会ったのは山野井泰史さん以来です。
そして登りが非常に華麗。軽やかで、どんな厳しいところでも余裕がありかつ正確。
フィジカルなクライミングの才能があるだけでなく、鋭く危険を察知する動物的な嗅覚もあるように感じます。
まさに「クライミングの才能の塊」という感じです。


昨年から山岳ガイドになったので、記事ではその話を中心に書いています。
取材は、瑞牆山で実際のガイドクライミングに同行させてもらって行ないました。
「いちばんガイドになりそうにない男」と言われ、私もそう思っていたのですが、意外や合っているのかもしれないというのが感想です。


取材では、2年前の「那智の滝事件」など話しにくいこともあえて突っ込んで聞きました。
現在の佐藤裕介を語るには避けて通れない話だと思ったからです。
逃げずにちゃんと答えてくれた佐藤くんに感謝です。
昔から疑問だった家族のことも聞きました。
ここは傑作なので、記事でぜひお読みください。


私は思い入れのあるテーマほど文章が書けなくなってしまうタイプで、
この記事も書き始めてみるとどうにもノリが出ず、3分の2くらい書いた原稿を思い切って全ボツにして一から書き直したりしました。
あっさり書けるだろうと思って引き受けた話だったんですが、意外と苦労してしまいました。
そのぶん、最終的には納得のいくかたちになったと思います。


ちなみに写真も私です。
けっこう自信作だったので、大きく使ってくれた編集部に感謝。
2007年に撮影した錫杖岳の写真もついに日の目を見ることができました。
(この撮影が、私がクライミング撮影に興味をもったきっかけでした)


これまで幾度もインタビューを受けてきた佐藤くんですが、
未出(のはず)の話もたくさん入っています。
ぜひ読んでみてください。



【ボツ写真】


















行動食はいつもタッパーに入れた弁当だそうです。休憩のたびにこれをちょこちょこ食べてました。




2015年10月8日木曜日

日本のクライミングの歴史の扉が開けられる



モアイフェース開拓記①


「瑞牆ガイドブック管理人」が言うとおりのすさまじいクライミングが瑞牆で行なわれています。「モアイフェース開拓記」を読んでいただければわかるのですが、これまでの日本のクライミングの次元を2つか3つすっ飛ばしたようなトライです。


なにはともあれ、この熱すぎるブログを読んでみてください。
クライミングを知らない人はわけがわからないかもしれませんが、どうしようもない熱い思いだけは伝わってくると思います。


私の知り合いがこれを読んで、
「たのもしい若者がいるのですね」
と、まるでおばあさんのようなコメントをくれました。
でも、私もまったく同感なのです。
このような熱い若者がいるのなら日本の未来は明るいと。


幸いにも私、これのファーストレッドポイントトライを見ることができました。
たまたま近くにいて、しかも核心部がほとんど全部見える位置にいたのです。


一連の核心部は、ノープロテクションで小さな結晶のようなホールド頼りに進んでいくライン。
核心部を通過中は獣のように吠え続け、それは瑞牆の森中に響き渡るようでした。
フェイスブックには「火を噴くようなクライミング」と書きましたが、まさにそんな感じ。
最後、ミスして大墜落してしまったのですが、人のクライミングを見て心が震えたのはほんとうに久しぶりでした。


このたびめでたくルートを完登。
しかし岩峰の頂上まではまだ2ピッチあって、
そこはさらに難しくなるというのです。

「骨は折れても心は折れないよう頑張らねば。」

致命的なケガをしない範囲でギリギリの線を攻めていってほしい……と思います。



























ファーストトライのときの写真。ここですでに5〜6m?のランナウト。見ているこちらもドキドキものでした。


2015年10月4日日曜日

『Fall Line』に記事書きました


写真は私の本棚のなかで「コア・ゾーン」と呼ばれている箇所です。
要するに、クライミングを中心としたコアスポーツの本の置き場というわけです。


その一角にバックカントリーコーナーがありまして、
そこに『Fall Line』という雑誌が十数冊並んでいます。
最初に買ったのは2004年。
基本年1回刊なので、コツコツ集めて十数冊になりました。
これは必ずしも資料というわけではなく、趣味です、趣味。
とにかく美しい雑誌で、そのファンなのです。


このたび、その雑誌に記事を書かせていただきました。
雑誌に自分の文章が載ったり名前が出たりしても何も感じなくなって久しいですが、
『Fall Line』に載るというのは特別な感慨があります。
というわけで、ここで自慢するものであります。



書いたのはアウトドアメーカー「パタゴニア」の環境理念について。
なかなか重たいテーマで苦労しましたが、6000字書いております。
めちゃめちゃ凝った年表も作りました。


記事冒頭の写真は、1972年に出た伝説のシュイナード・イクイップメント第一号カタログ(の復刻)。
写真も自分で撮ったのですが、カラビナは私物のシュイナード・イクイップメント製。
カタログのページを押さえるためにふと思いついて置いてみたところ、絵的にも決まりました。


内容からするとカラビナよりスリングチョックのほうが合っているんですが、
さすがにそれは持っていないし、ページができあがってから気づいてしまったので、
持っている人を探す時間もありませんでした。
内容だけでなく、形とか色合い的にもいいアクセントになったはずなんだけどなあ。
それだけが残念。


ところで、冒頭のコア・ゾーンの写真の真ん中あたりに
「95スキーマップル東日本」という本が写っています。
スキー場のガイドブックなのですが、これはすさまじい本です。
どうすさまじいのかはひとことで説明するのが困難です。
ジャンルは違いますが、私のガイドブック作りのベンチマークとなっているのがこの本です。
とはいえ、到底このクオリティにかなうものは作れたためしがありません。
もう二度とこのレベルのガイドブックは出ないのではないかとさえ思います。
この本を作ったのは寺倉力さんという編集者兼ライター。
じつは『Fall Line』のメイン編集者でもあるのです。
雑誌にしろガイドブックにしろ、寺倉さんのクオリティに追いつくことが私の目標でもあります。


さてそのFall Lineは昨日3日発売。
ぜひ見てください!







2015年9月19日土曜日

剱岳北方稜線



先日発売されたばかりのPEAKS10月号に、高橋庄太郎さんと共同執筆のかたちで剱岳北方稜線の記事を書きました。
庄太郎さんとは北アルプスの難ルートをよくいっしょに行っていて、
2009年の西穂高~奥穂高、2010年の槍ヶ岳北鎌尾根に続いて、これで三部作完成。


記事は計10ページ。ルートガイドや装備計画なども細かくやった甲斐もあり、いまのところ周囲では評判がよく、「面白かった」とか「オレも行きたい」という声を多く聞くので、記事の補足的情報を書いておきます。



アプローチの立山雷鳥平。行ったのは去年の9月27日~29日。去年は紅葉が早めで、9月27日でほぼピークって感じでした。いまのところ今年も早そうだな。




いきなり飛んで剱岳山頂。誌面には登場しなかった亀田正人カメラマンです。こういうハード系の撮影では現在のところ彼か杉村航の独壇場。でもギャラは変わらないのでかわいそう。山の取材もコースの難易度に応じた危険手当とか特殊技術料とかあればいいのに。




剱山頂から最初のピーク、長次郎ノ頭。遠目には岩壁のように見えて登れんのかな?と思えるのだけど、赤線のようにピークを巻くルートがとれる。2mくらい垂直の箇所があるのだけど、強引に行っちゃえるし、残置のロープもあるので問題なし。




長次郎ノ頭を越えると、こんな感じのギザギザの稜線を行く。といっても稜線上を歩くところはほとんどなく(ギザギザすぎて歩くの困難)、終始基本的に写真のように長次郎谷側(東側)を巻くように歩いていく。ちなみにこのすぐ先が、2年前にカメラマン新井和也が事故死したところ。私にとっては一生忘れられない場所でもあります。




ここが悪名高い池ノ谷ガリー。ガラガラで一歩踏むごとに崩れるような感じ。上から後続者が来たらちょっとイヤな感じだ。




池ノ谷ガリー全景。こうして見るとすごい傾斜に見えるな。




池ノ谷ガリーを下りきったところが三ノ窓。こんなふうにテントスペースが数カ所あって、ビバークするならここ。ただし水はないよ。




三ノ窓から西側をのぞき込むと、これまた悪名高い池ノ谷左俣。ものすごいV字谷だ。




三ノ窓からは小窓ノ王というピークに向かって登り返していく。このピークがまた長次郎ノ頭以上に威圧的に見えるのだけど、赤線のように絶妙なルートで登っていくことができる。通称「発射台」といわれているところ。まさにルートファインディングの妙を感じることができるところで、こういうの大好き。




発射台も遠目にはすごい傾斜に見えるのだけど、取り付いてみるとこんな感じで、意外と苦労なく登れてしまうのです。



亀田撮影

小窓ノ王を越えると問題の雪渓トラバース。このコース中いちばんヤバいところだと思います。私たちが行ったときは雪渓がここまで小さくなり、しかも先行者のトレースががっちり残っていたので、ノーアイゼンでも通過できました。7月とか8月だったら雪渓の幅がもっと広く、しかも数カ所出てくるらしいので、アイゼン装着+アンザイレンは必須だと思います。ピッケルも持つべきでしょうね。

ちなみにこのときは、この雪渓用に20mロープと170gという超軽量簡易ハーネス(倒産してしまったダックス製。類似商品がなくて重宝してたのに涙)、スリングとカラビナ数個ずつを持っていきましたが、結果的に使わずじまいでした。

ヤバかったらロープを使うつもりだったんだけど、支点探しはちょっと苦労するかも。確保支点に使える岩とか木とかあまりいいものがないのです。180cmとか240cmとかの細くて長めのスリングを持っていけば、大きな岩に無理やり巻いて使うこともできるかもしれないけれど、いずれにしろ工夫が必要です。各人がピッケルを持っていれば、雪渓に刺して支点にするのがベストかと思います。




小窓まで来ればもうひと安心。ここは本当にのんびりできる平和な場所です。




小窓雪渓。ここを下ります。ご覧のとおりの傾斜なので、アイゼンはなくても大して問題はないです。



亀田撮影

小窓からはできれば池ノ平山を通って池ノ平小屋まで行きたいと目論んでおりました。通常は雪渓から行きますが、ライン的には池ノ平山経由のほうが尾根通しでルートを完結できて美しい。でも小窓から見上げる池ノ平山は思ったより傾斜が強くてヤブでも苦労しそうなのでやめました。早く池ノ平小屋に着いてビールを飲みたいという誘惑に負けたのです。




小窓雪渓自体は歩きやすいのですが、問題はここ。雪渓を離れて左岸の登山道に入るのですが、この入り口がわかりにくい! 赤ペンキで●とか「上り口」とか岩に書いてあるのですが、ガスが出ていたりしたら見つけるのは至難と思われます。ひとつの目安は写真奥に見える滝。これが見えてきたら左岸にとにかく注意だ!




雪渓から登山道に移るところ。




翌朝、池ノ平小屋付近から見た池ノ平山。池ノ平小屋からは黒部ダムに下山するだけなのですが、庄太郎さんは早朝、「ちょっと池ノ平山行ってきます」と言ってここを登っていきました。「すぐ追いつくから先行ってて」というので、私と亀田は先に下りました。「すぐ追いつくから」といっても、池ノ平山まで往復のコースタイムは約2時間。プラス2時間は通常ならなかなか追いつけない差になるのですが、本当にすぐ追いついてきました。

庄太郎さんはとにかく歩くのが速くて、年齢的には私と3つしか違わないのだけど、体力的には3倍くらいありそうです。プロフィールによく「年間山行日数100日を超える」とか書いているけど、それは本当で、とにかくちょっとでも時間があれば山に行っているという男なのです。北方稜線みたいなルートはスピードが上がらないのでいいのだけど、普通の登山道をいっしょに歩くとついていくのが大変よ!




朝はけっこう寒くて、薄く霜がおりていました。




ハシゴ谷乗越に立つと、山に囲まれたスタジアムのような内蔵助平がきれいに見えました。あとふたがんばりくらいで黒部ダムだ。





ということで山行は終了。
しかし誌面にも書いたのだけど、剱岳北方稜線というのは長大な尾根で、私たちが歩いたコースはそのほんのさわりでしかないのです。地図上で見るとこんな感じ(下のほうのちょろっとした赤線)。





一方、北方稜線全線となるとこんなに長いのです。


このほとんどの区間は登山道がなく、踏破はきわめて困難なものになります。


しかしつい最近、この全線踏破の記録がパタゴニアのブログに載りました。
だれだ、そんな酔狂なことをやったのは、と思ったら、知ってる人でした。
加藤直之、谷口けい、上田幸雄の3人。
みんなツヨツヨのクライマーなのですが、ちょっと普通じゃないこともよくやる人たちです。
1週間ヤブこぎを続けるようなこんな登山、普通の人はやりません。
40代の大人3人がこんなバカげた登山をやってくれるなんて。
こういう冒険心というか遊び心、本当に尊敬します。彼らはすごい。






2015年9月6日日曜日

登れるかどうかわからない山は面白い




『岳人』9月号を読んでいて、いたく共感したフレーズがあったのでメモ。


未知未踏のものを登ることほど最高なことはない。未知未踏というのは、それが登れるのかどうかすら、わからない。答えがあるかわからない問題を解くようなものだ。
「島に残された未知未踏を登る」小阪健一郎・文


「答えがあるかどうかわからない問題を解くようなもの」


これですよ、これ。
行く手に何が出てくるかわからない山登りというのは面白い。
それこそが山登りの最大の面白さなんだと思う(つい最近も似たようなこと書いたな……)。


とくに沢登りというのはこの面白さを最も端的に味わえる登山形態なのだけど、
それを最大限に体感するために、わざとルートの下調べをしないで行く人もいるくらい。
バカバカしいなと思いつつ、気持ちは十分わかるのです。


大昔、アフリカのジャングルで未踏の岩塔を登ったことがあります。
先行きに何が出てくるかわからず、そもそも登れるのかもわからない。
過去に人間が通ったことがないところを行くというのは、ものすごく怖いことで、胸が締め付けられるようなプレッシャーを感じながら登っていました。





しかしそれだけに、登れたときの感動は、ほかの山登りの100倍は大きかったことを憶えています。
そして、初登という行為がいかに大変か、そして第二登とは天と地ほどの差がある行為であることも身をもって理解したのでした。


私たちが登った岩塔も、岳人の記事にある離島の岩や滝も、未踏とはいえ一般的に見ればまあチンケっちゃチンケですよ。
どうでもいいような重箱の隅つつきといえなくもありません。
でも、この記事を書いた小阪さんという人は、未踏の場所を行く最高の面白さを知っているのだと思います。
山登りに求めているものが私と同じ感じで、好みが合いそうな気がします。
はたからは怪しい存在と見られているかもしれないけど、応援してますよ!


2015年8月31日月曜日

今後マッキンリーはデナリと書くように


……ということらしい。
「マッキンリー」は入植してきたヨーロッパ人が付けた名前。
「デナリ」はもともとの現地名。
登山界ではどちらも使われていてややこしかったので、この際デナリに改称というのはいいことだと思う。もともとデナリだったんだしね。


仮に日本が過去、ヨーロッパの植民地にされていた期間があったとして、
富士山が「ジョン・スミス山」という名前で勝手に呼ばれていたとして、
そちらのほうが国際社会では通りがいいことになっていたとしたら、
日本人としてはそりゃあ面白くないよね。
だからデナリに戻すというのは本来あるべき姿だと思うのです。


ちなみに東京・四谷にデナリという登山用具店があります。
店主とスタッフが異常にマニアックで、ブログは必見です。
あまり本来のデナリには関係ないんですけど。



ところで、デナリのように呼び名がいくつかある山はほかにもあります。
いちばん有名なのはエベレスト。
チョモランマともいうけれど、エベレストとの関係性を聞かれることがたまにあるので、この機会に整理しておきます。


エベレスト……イギリス人がつけた名前。マッキンリーと同じです
チョモランマ……チベット側の現地名
サガルマータ……ネパール側の現地名


エベレストはネパールとチベット(中国)の国境にあるので、双方で呼び名が違ったわけです。


エベレストに次ぐ世界第二の高峰・K2は、


K2……イギリス人がつけた名前
チョゴリ……中国側の現地名


パキスタン側の呼び名は知りません。聞いたことないけどあるんでしょうか。パキスタン側だと人里遠く離れた奥地にあたるので、もともと現地名はなかったのかもしれません。


山をはさんでこっち側と向こう側で呼び名が違うという例は日本にもあって、
有名なところでは金峰山。


きんぷさん……山梨側の呼び名
きんぽうさん……長野側の呼び名


字面は同じだけど読みが違うという例です。
全国的にどちらで知られているかというと、どっちかというと「きんぷさん」かな。



ともあれ、今後、マッキンリーのことを文中に書くときは「デナリ」と書くように注意だ!





【9月2日追記】

デナリ改称で微笑むのは誰か

こういう見方もあるらしい。そんな事情は考えてもみなかった。これが事実かどうかはわからないけど、物事は多角的に見る必要があるなとあらためて思いました。






2015年8月10日月曜日

商品紹介文はどう書くのが正解なのか

SONY α7R II | SHOOTING REPORT

NIKE AIR MAX 95 ULTRA


つらつらとインターネットを見ていて気になったふたつのページ。
どちらも商品の紹介。要は宣伝文です。
ものすごい好対照に感じたのでメモ。


どちらに魅力を感じますか?
商品自体のことじゃなくて、文章として。
より正確にいうと、これを読んで商品を買いたくなるのはどちらか。


私はいうまでもなく前者のソニー。
これを書いた人はかなりうまいな!と思いました(NBというイニシャルしか記されていないけど)。


それに対して後者のナイキは頭どうかしてるんじゃないかという文章。
これは日本語なんでしょうか。


しかし広告の現場では、こういうナイキみたいな文章が好まれるケースもある。
こんな文章読んで商品に興味を持ったり買いたくなったりするわけないと思うんだけど、
こういうのが採用されるということは、効果があるということなんでしょうか?
それともエアマックスみたいな超有名商品は文章の説明なんか不要なので、
なんとなくの単語だけ並べておけばそれでいいということなんでしょうか。
どう考えてもこれでいいとは思えないんだけどな。
うーん、わからん。


まあでも、ソニーのカメラ欲しくなってしまいましたよ。
やるじゃんNB。




2015年8月9日日曜日

アルピニズムと死





わたくしのアイドルであり大先生、山野井泰史さんの最近刊、いまごろ読了。


内容的には前著『垂直の記憶』のほうが読み応えがあったのだけど、
それ以前に、
「です・ます」調と「だ・である」調が混在していたり、
タイトルと内容がイマイチ合っていなかったり、
編集上の問題点が気になったな。
意図的なものなんだろうか。
もうちょっとていねいに編集したら読み応えは上がったような気がする。


いちばん印象に残ったフレーズはこれ。

次に展開される風景にいつも期待感を持っているクライマーでありたい。山が次々に出題するパズルを素早く解決できるクライマーでありたい。

山登りの醍醐味って私もこれだと思うんですよ。


昔、『山と溪谷』の記事で、同じような意味合いのこと書いたことがあります。
「ここから北鎌尾根はさまざまな課題を出してきた。それに正解すれば次へのルートが開かれ、間違えば行き詰まってやり直しだ」……みたいなこと。
引用したかったのだけど、当時のヤマケイは手元にほとんど残しておらず、確認ができない(残していなかったこと後悔してます)。


山登りはパズル。
そこにいちばんの面白みを自分は感じているので、
大先生も同じようなこと考えていてうれしくなったのでした。



ちなみにこの本に出てくる西上州一本岩という岩塔。
これにトライした「4人のクライマー」のうちひとりは私です。
「4人の優秀なクライマー」と書かれていますがそれは間違いで、
4人の中では私がダントツでヘボでした。




2015年7月31日金曜日

3泊5日でネパール・ランタン谷に行ってきました

カトマンズの空港から見たガネッシュ・ヒマール。左から4峰、2峰、1峰、5峰(だと思う)


日曜深夜出発・金曜早朝帰国という駆け足でネパールに行ってきました。
ネパールを訪れたのは初めて。
川名匡ガイドがランタン谷に支援物資を届けに行くのにおともしました。


ネパールに行ったこともなく、ランタン谷にもなんの縁もゆかりもない私ですが、『山と溪谷』7月号でネパール地震の記事を作ったときに、現地に行ったことがない自分が記事を作っていることに隔靴掻痒というかもどかしさを痛切に感じ、一度ネパールに行きたいと思っていたのです。地震の状況が知りたいということではなく、単純にネパールを見てみたいと。
そんなときに川名ガイドが同行者を募集していたので、衝動的に行くことにしてしまったというわけです。





通常1週間くらいかけて歩いていくランタン谷ですが、今回はヘリコプターを使ってカトマンズから往復2時間。現地滞在はわずか30分ほどという弾丸行程でした。



ランタン谷では土砂崩れで村がひとつまるごと埋まってしまい、山岳地としてはロールワリンと並んで地震の被害がもっとも大きかった場所です。被害者数は数百人におよび、外国人旅行者も100人くらい埋まってしまったようです。

左の灰色の部分が土砂崩れ。この下に村があったそうです。右の緑の部分は村の畑


ヘリから見た風景はすさまじいもので、集落がひとつ完全に消滅していました。行方不明者の捜索などとうてい不可能とひと目でわかるような規模の土砂崩れです。対岸の斜面は高さ100mくらいまで(もっと?)爆風で大木がすべてなぎ倒されていました。


この奥にもうひとつ村があるのですが、土砂崩れで道も遮断されてしまったために、現在は陸の孤島状態。支援物資はそこに持っていったというわけです。

新品のダウンジャケットやレインジャケット、テントなどを渡してきました


この2時間以外は基本的にカトマンズにいました。報道では、ビルや世界遺産の寺が崩壊したりなどインパクトある映像がよく流れていたので、カトマンズの街が半ば崩壊したようなイメージを持っていましたが、思っていたより普通でした。とくに被害のひどい一角をのぞけば、街を歩いていても気づかないほど。まあ、もともとごちゃごちゃしていて今にも壊れそうな建物が多いせいというのもありますが。



ここは地震のせいなのかもともとボロかったのか判断つかない

それよりも印象に残ったのは猛烈な渋滞とないに等しい交通マナー。信号はないかあっても停電しているので、交差点では四方から車とバイクがわれ先に突っ込んできてカオス状態。みんな車間15cmくらいですり抜けていきます。よくぞまあこれで事故が起こらないものだよなと思うんですが、見なかっただけで実際には起こっているんだろうな。





でもまあ、渋滞は地震以前からカトマンズの名物であり、この写真も通勤ラッシュだったりするのです。当たり前だけどほとんどの人々は通常生活に戻って日々を送っているようでした。







2015年7月16日木曜日

バンフ映画祭試写会に行ってきました


毎年楽しみにしているイベント、バンフ映画祭(バンフ・マウンテン・フィルム・フェスティバル)の試写会に行ってきました。


登山、クライミング、スキー、自転車、カヤックなどなど、主に山を舞台にしたショートフィルムの映画祭。本物はカナダのバンフで行なわれるのですが、ここ10年ほど、日本でも全国で上映が行なわれるようになっています。きょう行なわれたのは、秋の上映に先駆けてのメディア向け試写会というわけです。


わたくし実はムービー好きであり、高校時代には自主映画を作ったり、就活ではテレビの制作会社を受けたり、仕事キャリアの始めも動画制作だったりするのです(ヤマケイで2年間スキー・スノーボードビデオの仕事をしていました)。いまでもユーチューブ見始めたら5時間くらい見ちゃったりします。


だからバンフ試写会も毎年楽しみなわけです。で、いつも海外のアウトドアムービーのクオリティの高さにため息をつくと同時に嫉妬すら覚えます。なんでこんないいものを作れるのかなこいつらは、という感じ。


制作者は映像の専門家もいるのですが、とくに注目しているのは、アウトドアのプレーヤーとしても一流の人が作っている作品。彼らが作るものがいいのは、普通では行かれない場所での迫真の映像を見せてくれること。かといって映像が素人っぽいわけではないんですよ。やってることと映像の両面のクオリティがすばらしく高いのが、海外のアウトドア映像の魅力なのです。


とくにお気に入りは、アメリカのCamp 4 Collectiveというチーム。リーナン・オズタークというクライマーとして一流のくせにアートな才能が充満している男がおりまして、彼のセンスが作品には爆発しております。この人のセンスは大好き。もうひとつ、イギリスのアレステア・リーという人の作る映像もよいです。レオ・ホールディングというクライマーと組んでよく作品を作っていますが、よくこんな厳しい環境でカメラ回せるな!と感心させられます。で、彼もまたきびしい場所に行けるだけでなく、作品の構成力や映像センスもすばらしいです。


話がそれましたがバンフ映画祭。まあ、そんなような日本ではちょっと見られない見応えあるアウトドア映像がたくさん見られるというのが魅力です。毎年、クライミング系作品に傑作が多く(クライミング好きの私の身びいきではなく)、これまで見た歴代の私的ベストは、ピーター・モーティマーという人が作った「First Ascent」という作品。カナダにあるクライミングルートの初登競争を描いたものなのですが、これがすばらしい人間ドラマになっているのです。クライミングに興味がない人でも主役のディディエというクライマーが大好きになってしまうこと請け合いです(ユーチューブは全編ではなくて抜粋)。


ピーター・モーティマー作品、もうひとつすごい好きなのがあって、これです。これはもうほんとに箸休めみたいな小品なのですが大好き。(モーティマー以外の私的ベストもうひとつあって、それはひとりでリヤカーを引いて砂漠を横断する作品なのですがタイトルとか忘れてしまった。だれか教えてください。もう一度見たい)。


今年のグランプリもクライミングもの。ヨセミテ黎明期を支えたふたりのクライマーを、昔の写真をうまく使って動画に仕立てたというものです。制作は! またしてもピーター・モーティマー! 個人的には「First Ascent」のほうが好きですが、クオリティはさすがのモーティマーという感じでした。あのジョッシュ・ロウエルも制作にかんでいると聞けば、むむっと反応するマニアも多いことでしょう(少ないか)。


一般公開は9月から。アウトドア好きは一度は見に行くことをおすすめします。後悔はさせません。こういうアウトドアものは大画面で見るとよさが5倍くらいになるからです。ユーチューブで見たからもういいよという人も大画面で見ると印象が変わるはず。字幕もあるしね。

2015年7月5日日曜日

伝説のクライマー・南博人


私がクライミングをやりたいと思ったきっかけになった人物に会うことができました。
谷川岳衝立岩の初登攀者、南博人さんです。


上のサインを書いてもらった『谷川岳』(瓜生卓造著)という本を学生時代に読んで、「おれも谷川岳に行きたい!」と強烈に感化されたのがそのきっかけです。
この本のクライマックスとなっているのが衝立岩初登攀のくだりで、その主役が南さんだったのです。


とくに印象に残っているのが、衝立岩を登り切ったところを描写するこの一節。

「南の唇は紙のように乾き、口内は気味悪く粘っていた。彼は横を向いて唾を吐いた。真赤な血の塊りだった。彼は肩をすぼめた」

カッコいい! おれも衝立岩の頂上で血の唾を吐きたい!
と、シビれてしまったのです(その後いまに至るも衝立岩は登れていませんが)。


言ってみればわがアイドル。
御年84歳ですが、アイドルはアイドルなのです。


実際にお会いする南さんはとてもあっけらかんとした人柄で、
「気負い」というものが全然感じられないのです。
日本のクライミング史を語るうえでは欠かせない人なのですが、
伝説のクライマー的なえらぶったところがまったくありませんでした。


私は当然、「本当に血を吐いたのですか?」と、25年来の疑問をぶつけたのですが、
「ぼくは扁桃腺が弱いようでね〜、無理すると血が出ちゃうんだよ」
とのこと。
扁桃腺でしたか……。


もうひとつ重要なことを聞きました。
南博人は「みなみ・ひろんど」と読むとされ、
そのようにルビがふってある山岳書がたくさんあるのですが、
「いやいや、ぼくの名前は『ひろと』。『ひろんど』というのは、新田次郎さんの小説でしょ」
南さんは新田次郎の小説『神々の岩壁』に実名モデルとして登場しています。
そこでは「ひろんど」と書かれており、いつのまにかそれが本名として広まってしまったということなのです。


私もこれまで「ひろんど」と書いてしまったことがあるような気がします。
山岳関係者諸君、これからは「ひろと」と書くように!









2015年6月23日火曜日

「山岳遭難過去最多」は本当に最多なのか

先週、こんな報道がありました。
毎年この時期に警察庁が全国の山岳遭難統計を発表します。
その内容を報じたもので、この朝日新聞にかぎらず、報道各社、見出しも内容もほぼ同じです。


「過去最多」という言葉を見ると、「そりゃ大変なことだな」と思ってしまうのですが、これもう20年くらいずーっと変わってなくて、毎年この時期に同じ見出しで記事が出ることになっています。


でも、登山やってる人はなんかへんだな?と思わないですか?
そんなに年々、山が危険になってる印象ってありますか?
あるいは、そんなに登山者の数が毎年毎年増えてるように感じていますか?


僕は28年前から登山やってるのですが、そのどちらの印象もありません。
とくに危険になった気はしないし、登山者の数もこの遭難件数の増加に見合うほど増えてはいない。山で遭難者の姿を見ることが増えた気もしないし、自分のまわりで遭難した人が増えてもいない。


ではどういうことなのか。


持論なんですが、これは「山岳遭難増加」なのではなくて、「通報件数増加」なのだと思っています。


たとえば15年前であれば、山で携帯電話はほとんど通じなかったので、山中で脚を折ったとしても、人のいるところまで自力で下山するしかなかった。片足で這ってほうほうの体で下山して病院に行ったとしても、警察に連絡しなければ、それは統計にはカウントされなかったわけです。


しかし現在では、山中で脚を折ったら、まずはヘリコプターを呼べないかと考える。
つまり、遭難の数自体は大して変わっていなくて、昔は表に出てこなかった遭難がいまは出てくるようになっただけではないのかと。


実際そんな例はゴマンとあったはずだし、僕自身も山の中で落ちて顔を強打して鼻折ったことがありますが、顔面血だらけのまま歩いて下りました。
もちろん警察に連絡なんかしていません。そもそも携帯電話がない時代でした。


それに加えて、各地で山岳救助隊もずいぶん整ってきました。
昔は山岳救助というと、地元の青年団みたいな人や山岳会などが急遽集められて出かけていたわけですが、いまは主要なエリアでは警察や消防のプロ集団が出動します。
そしてその存在は一般の登山者にもずいぶん知られるようになりました。
「事故を起こしたらまずは通報」と認識が変わってきた背景にはそんな事情もあると思います。


山で事故を起こしたとき、

昔:事故った → いちばん早く下山できるルートはどこだ → がんばって下りる

今:事故った → 110か119に連絡 → ヘリ到着

これが統計数字の差になっているだけなのだと思います。


そう思う根拠としては、自分の体感のほかに、死亡・行方不明などの重大事故の数が数十年前からあまり増えていないことがあります。
本当に山岳遭難が増えているのなら、それに比例して重大事故も増えていないとおかしいはず。
でも、死亡者数は50年くらい前からずーっと200〜300人くらいで、目立った変化がないのです。


死亡者数に関してひとつだけ思うのは、通信と救助体制と道具がよくなったので、昔なら死んでいたような事故が、いまは助かるケースも増えたということ。
だから昔と現在をイコールコンディションで比較できないのはわかります。
ただ、それを考えても、重要な傾向を見いだせるほど事態は変化していないのではないかと思います。


だから報道各社も毎年「過去最多」と記事にして人々の恐怖をあおることはほどほどにして、もう少し突っ込んだ報道もしてほしいなと。
いまの報道は事実は伝えているかもしれないけど、真実は伝えていない。
毎年風物詩のように「過去最多」を見るたびにそんなことを思うのです。



2015年6月13日土曜日

長野の川上村にパタゴニアが開店するらしい


小川山に行く人の9割以上が立ち寄る(と思われる)、川上村のスーパー「ナナーズ」。
土日の売り上げの半分はクライマーによるものとすら(わが家では)言われている店だ。
いわば小川山に向かうクライマーたちの戦略拠点あるいはエイドステーション。


(その筋では)あまりにも有名なナナーズに、なんとあのパタゴニア直営店がオープンするという。


スーパーにアウトドアショップ?
どういうことか一瞬理解できなかったのだが、ナナーズの駐車場敷地内に店舗が作られ、7月6日から一年間限定というかたちで営業するとのこと。
あのクリーニング店みたいなのがあるあたりかな?と思うのだが、そこまではわからない。


しかし期間限定店というのもあまり聞かなければ、ナナーズに出店とは思いもしなかったアイデア。
今度小川山に行くときはのぞいてみよう。



【6月13日追記】
パタゴニア日本支社が店舗イメージ図をくれました。こんな感じだそうです。



2015年5月26日火曜日

すごいクライミングガイドブックができたぞ


4月20日に瑞牆山のクライミングガイドブックが発売されました。刊行元はPUMPというクライミングジム。


一読衝撃。よくぞまあここまで調べたものだと。瑞牆山にあるクライミングルートは全部で600本以上。2年間かけてそのほとんどを登り直して情報をまとめあげたそうです。上下巻に分かれていて、合わせると500ページ以上。すさまじいボリュームです。


ふたつめの衝撃は、これを作ったのが本の製作未経験の人であること(経験者の助力は受けていますが)。しかし見てもらえばわかりますが、本の構成やデザインに素人くささはなく、内容の詳しさと正確性は出版社製の本をはるかに上回っています。


その首謀者&著者であるPUMPの代表・内藤直也さんに製作の裏側を聞く機会を得ました。詳しくは6月4日発売の『ROCK & SNOW』を読んでほしいのですが、そりゃあもう刺激を受けました。


・ボリューム(体裁やページ数)は最初に決めない
・聞き書きではなく、現地に自ら足を運んで調査
・それに100日以上かける
・500ページを3カ月で書き上げた
・ルート図も自分で描く
・オンデマンドで現物を一回作ってから広告営業する


どれも出版社にはなかなかできない話です。でも全部まっとうな本作りの方法と思えました(執筆のスピードは異常ですが)。


考えてみると、私がここ一、二年、中身も価格もろくに見ずに即決で買った本は、出版社ではないところが出しているものが多いです。
これとか
これとか
これとか
これ
どれも5000円前後とかの高額な本です。でも値段は関係ないんです。「これは絶対に手元に置いておきたい」という圧倒的なパワーと熱があるのです。


瑞牆のガイドブックにも、内藤さんの常軌を逸した(という表現がふさわしい)情熱が注がれています。そんな本がつまらないわけがないのです。


本作りに携わるものとして、内藤さんの話は刺激に満ちていました。出版社出身者としてがんばらなきゃなと思うと同時に、襟を正さねばとも。


インタビューは↓に載る予定です。ぜひ読んでみてください!


2015年5月7日木曜日

ゴールデンウイークの小川山

5日・6日はクライミングのメッカ・小川山に行っていました。
どちらも快晴で、この時期の小川山は最高です。

美しい森。



最高のキャンプ場。


星空のキャンプ場。


”蜘蛛の糸”
このアングルの写真はめずらしいはず。

2015年5月4日月曜日

登山雑誌の「タイアップ」(1)

近ごろ「ネイティブアド」という言葉をよく聞きます。
要は、広告っぽく見えず、前後の記事や流れに「自然になじんだ」広告ということらしい。
これがインターネット上で熱い議論になっています。


まずはこんな意見。
ネイティブアドよ、死語になれ。

これに対する反論的なもの。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す

「インターネット広告推進協議会」というところがあって、そこが一定のガイドラインを作ろうという動きがあるそうですが、なかなか利害は一致しないようです。
「ネイティブ広告」の推奨規定、JIAAが新たに策定


僕は主に紙媒体で仕事をしているのだけど、「他人事ではないな」と注目しています。
雑誌でもよくある「タイアップ記事」というのは、要はネイティブアドだからです。


ここ10年くらい、登山雑誌でもメーカーなどがお金を出して特定の商品のPRを目的とした記事が増えました。
それを「タイアップ記事」と呼んでいます。
15年前は登山雑誌にはほとんどなかったのだけど、10年くらい前からどんどん増えています。
そして一般記事との「なじみ具合」もどんどん進んでいるような気がします。


で、上のリンクなどで議論されているのは、そういう記事には「PR」とか「広告」というクレジットを明示すべきか否かということなのですが、こと登山雑誌ではそうしたクレジットが入っているものは見た記憶がありません。
僕のようなプロ(という言い方もなんですが)が見るとだいたい「ああ、これはタイアップだな」とわかるのですが、なかには「ちょっとわからない」というものもあります。
内容や文体から「タイアップくさい」と思えるのだけど、「ちがうかもしれない」という微妙なものもあるわけです。
今の時代、一般読者もそこはけっこう見破っているんじゃないかとは思うのですが。


この問題に関しては僕も意見はあるのですが、それ以前に、ネット上の議論を見ていて思ったのは、「うらやましい」ということでした。


なにがうらやましいかというと、ネットがです。
雑誌でも週刊誌や経済誌は「PR」クレジットを入れることが定着しているけれど、趣味系の雑誌にはそんなガイドラインはほとんどありません。女性誌なんてタイアップの総本山みたいな存在だけどなにかあるんでしょうか。
雑誌はそんな感じで、業界的・統一的な議論が巻き起こる機運がほとんどありません。
出版業界や登山界ってのは良くも悪くも個人主義が強くて、横断的な議論をしようとか知識やノウハウの共有をしようというムードがすごく薄い世界なんですよね。
それはつまらないと個人的には思っていて、だから、業界あげて熱く議論を戦わせるネットがうらやましいと感じたわけです。


この流れはそのうち雑誌にもおよんでくるはずだし、無関係ではいられないという危機感に近い思いもあって、出版界も考えておく必要があると思っているのです。


ついては自分の意見についても書いておこうと思ったんですが、長くなりそうなので次回に。

2015年4月27日月曜日

知る人ぞ知るナイキの名作


使えなくなった道具はあっさり捨ててしまうほうなのだけど、たまに思い入れが深くて捨てられないものもある。
この靴がまさにそう。
買ったのは1999年くらいなので15年以上前。ゴムがはがれたり革が破れかかったりして、もう7、8年はまともに履いていないのだけど捨てられなかったのです。
しかしこうして写真に撮って記録として残しておけば、また会いたいときにすぐ会えるではないかと思いついて、ようやく捨てる決心がつきました。


ナイキACG エア・ラバドーム2002
ラバドームという靴は年式によってずいぶん変わっているのだけど、僕が履いていたのはこの2002というタイプ。
5.12が登れるといわれたほどクライミング性能の高い靴で、ハンス・フローリンというアメリカの有名なクライマーがヨセミテのビッグウォールで履いている写真を海外の雑誌で見たこともあります。
そんなトップクライマーも実戦で使うほど完成度の高い靴だったわけです。
販売期間が短かったのか、それとも売れなかったのか、履いている人はあまり見なかったけど、これの後継モデルでかなりヒットしたエア・シンダーコーンという靴の原型はここにあるといっていい。



90年代から2000年代にかけて、ナイキはACGというラインでかなり使えるアウトドアシューズを出していました。
大企業がアウトドア製品を作ると、往々にしてカッコだけのものになりがちで、通から見るとどうにも使えないものである場合が多いのですが、このころのナイキACGは違いました。
アウトドアメーカーとはまったく異なるアプローチでありながら完成度が高く、かつ革新的で、ビッグブランドが本気でアウトドアに取り組めばこういうことになるのかと、ワクワクしたものでした。



なにがそんなによかったのかというと、なによりそのクライミングシューズばりのフィット感。
足全体にすきまなくぴったりとフィットし、とにかくブレのない履き心地が最高でした。
本当に5.12を登れるのかどうかは、残念ながらわたくしの身体能力的に確かめることができなかったのですが、うまい人が履けば本当に登れるかもと思わせるだけのものがありました。
開発陣には絶対に好き者(クライミングの)がいたに違いないと確信しています。



高性能の秘訣はこのソール。ほとんどクライミングシューズと同じといってもいいような特徴的な作りです。
ソール外縁部がフラットパターンになっており、つま先が絞り込まれた形状のため、小さい突起にも非常に立ちやすかったのです。
つま先部分がフラットパターンになっているこういうソールは、「クライミングゾーン」などと呼ばれて、最近のトレッキングブーツにもよく採用されていますが、この構造を初めて採用したのはこのラバドームじゃなかったかと思います。



とにかく気に入っていて、一時はこればっかり履いていました。
壊れかけてきたころ、もう一足買っておけばよかったなと後悔したくらい。
今回あらためてネット検索してみたら、ヤフオクとか、ショップのデッドストックなんかで、たまーに出物があるみたいですね。でもサイズがデカかったりするものがほとんど。サイズが合うものがあったらもう一回買ってみたい。



これ履いて国内から海外の山まであちこち行ったなあ。
あなたはまさに名作といえる靴でした。
これまで本当にありがとう。