カトマンズの空港から見たガネッシュ・ヒマール。左から4峰、2峰、1峰、5峰(だと思う)
日曜深夜出発・金曜早朝帰国という駆け足でネパールに行ってきました。
ネパールを訪れたのは初めて。
川名匡ガイドがランタン谷に支援物資を届けに行くのにおともしました。
ネパールに行ったこともなく、ランタン谷にもなんの縁もゆかりもない私ですが、『山と溪谷』7月号でネパール地震の記事を作ったときに、現地に行ったことがない自分が記事を作っていることに隔靴掻痒というかもどかしさを痛切に感じ、一度ネパールに行きたいと思っていたのです。地震の状況が知りたいということではなく、単純にネパールを見てみたいと。
そんなときに川名ガイドが同行者を募集していたので、衝動的に行くことにしてしまったというわけです。
通常1週間くらいかけて歩いていくランタン谷ですが、今回はヘリコプターを使ってカトマンズから往復2時間。現地滞在はわずか30分ほどという弾丸行程でした。
ランタン谷では土砂崩れで村がひとつまるごと埋まってしまい、山岳地としてはロールワリンと並んで地震の被害がもっとも大きかった場所です。被害者数は数百人におよび、外国人旅行者も100人くらい埋まってしまったようです。
左の灰色の部分が土砂崩れ。この下に村があったそうです。右の緑の部分は村の畑
ヘリから見た風景はすさまじいもので、集落がひとつ完全に消滅していました。行方不明者の捜索などとうてい不可能とひと目でわかるような規模の土砂崩れです。対岸の斜面は高さ100mくらいまで(もっと?)爆風で大木がすべてなぎ倒されていました。
この奥にもうひとつ村があるのですが、土砂崩れで道も遮断されてしまったために、現在は陸の孤島状態。支援物資はそこに持っていったというわけです。
新品のダウンジャケットやレインジャケット、テントなどを渡してきました
この2時間以外は基本的にカトマンズにいました。報道では、ビルや世界遺産の寺が崩壊したりなどインパクトある映像がよく流れていたので、カトマンズの街が半ば崩壊したようなイメージを持っていましたが、思っていたより普通でした。とくに被害のひどい一角をのぞけば、街を歩いていても気づかないほど。まあ、もともとごちゃごちゃしていて今にも壊れそうな建物が多いせいというのもありますが。
ここは地震のせいなのかもともとボロかったのか判断つかない
それよりも印象に残ったのは猛烈な渋滞とないに等しい交通マナー。信号はないかあっても停電しているので、交差点では四方から車とバイクがわれ先に突っ込んできてカオス状態。みんな車間15cmくらいですり抜けていきます。よくぞまあこれで事故が起こらないものだよなと思うんですが、見なかっただけで実際には起こっているんだろうな。
でもまあ、渋滞は地震以前からカトマンズの名物であり、この写真も通勤ラッシュだったりするのです。当たり前だけどほとんどの人々は通常生活に戻って日々を送っているようでした。